17世紀の哲学者であるスピノザの主著『エチカ』の第4部定理67は、次のようになっている。
『エチカ』第4部定理67:
哲学が思索するべきは生きることの方であって、死ぬことではない。このように主張するスピノザはエピクロス派の人々と同じく、「死を想え」の教えに対しては否定的な立場を取っているということができるだろう。一般に、何らかの自然主義的な哲学を奉じている人々には、こうした立場へと至る内的な必然性が存在することは確かである。
本題に戻ろう。「人間が存在する時には死は存在せず、死が存在する時には人間は存在しない。従って、死は人間にとって『何物でもない』。」このようなエピクロス派の人々の主張に対してはおそらく、『存在と時間』は次のように答えるものと思われる。
エピクロス派の人々の反対論に対する回答:
現存在(人間)の生をしるしづけているところの「死へと関わる存在 Sein zum Tode」は存在しないどころか、むしろ、実存のあらゆる瞬間を貫いてリアルなものであり続けている本質的な契機に他ならない。
つまりは、こうである。確かに、エピクロス派の人々の主張のうちに暗に含まれているように、最後的な瞬間としての死は人間の生の終わりにただ一度だけ訪れる、一回的な出来事にほかならない。その意味では、「人間が生きているかぎり、まだ死は存在していない」というのは、疑いようもなく正しいであろう。
しかし、実存する存在者であるところの人間にとって、死の意味は果たしてそれに尽きていると言えるのだろうか。むしろ、死なるものは人間にとって、「わたしはまだ生きている=わたしはまだ死んではいない」として、実存のあらゆる瞬間に関ってくる、根源的な可能性に他ならないのではないのか。『存在と時間』の実存論的分析は従って、人間が生きることそのもののうちに消しがたい仕方で刻み込まれている、「死へと関わる存在」のモメントを浮かび上がらせることへと向かってゆくことになる。人間存在は「可能性の中の可能性」としての死に、常に関わり続けている。だからこそ、実存することにとって、死ぬことの可能性はまごうかたなきリアルそのものであると言わざるをえないのである。
ここでは、次の二つのモメントを区別することができるだろう。
①最後的な瞬間として人間を訪れるところの、一回的な出来事としての「死」。
②人間の実存をあらゆる瞬間においてしるしづけているところの、「死へと関わる存在」。
②から導かれてくるのは、あるア・プリオリに可能であるところの「わたしは死にうる」に他ならない。すなわち、現存在であるところのわたしは、いついかなる瞬間にあっても、自分自身の死の可能性へとさらされている。従って、わたしは実存する一人の人間として、本当は次のような問いに常に向き合わされているのではないか。
問い:
他の誰でもない一人の人間であるところのわたしは、わたし自身の「死へと関わる存在」を、いかにして生きるのか?
エピクロス派の人々やスピノザが言うように、賢者が生きるべきであるのは死について考えることが最も少ない生であるということも、ありうるかもしれない。しかし、その一方で、プラトンやハイデッガーといった先人たちが私たちに勧めているのは、それとは異なる生き方である。つまりはあの「死を想え memento mori」であって、「死へと関わる存在」を生きなければならない人間にとってはこちらの方にこそ本来的な生の可能性が存しているということも、ありうるのではないか。
いずれにせよ、死を探求の対象とするこの問題をめぐって賭けられているのは、実は「生きることの善さ」にほかならない。私たちに人間にとっては、生の喜びのみに目を注ぐことが善い生であるのか、それとも、死ぬことの可能性を見据えつつ生きることこそが、それであるのか。かくして、ハイデッガーの『存在と時間』の探求を突き動かしているのは、二千年以上にわたって哲学の営みを駆り立て続けてきたところの、あの決定的な問いである。すなわち、それこそが知恵と情熱の限りを尽くして問われ続けてきたあの「生きることの善さとは何か?」なのであって、その意味では、この本の道行きの全行程を導いているのはやはり、生そのものへの限りない畏敬の念にほかならないのである。私たちは後に、実存そのものの目覚めと充溢としての、この「死へと関わる存在」の本源的な姿にたどり着くことになるだろう。