イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

哲学の歴史にとって、1927年とはいかなる年であったか:『存在と時間』と私たち

 
 論点:
 マルティン・ハイデッガーによって「死へと関わる存在」のモメントと共に「存在の問い」が提起されたことは、哲学の歴史そのものにとって無視することのできない意味を持つのではないだろうか。
 
 
 私たちはここで、哲学の歴史を〈存在〉の問題圏を軸にして振り返りつつ、上の論点について考えておくことにしたい。(今回の記事で論じたいことの本題は、この記事の後半部にあたるが、前半部の内容は後半部で論じることの、不可欠な前提をなすものである。)
 
 
 古代から中世にかけての時期は、哲学者たちの間で〈存在〉の思索が受け継がれ、展開されていったという意味では、まさしく運命的な時期であった。具体的には、パルメニデスによって提起された「あるはある」のテーゼが、哲学の営みの始まりの時期において電撃のように発されることによって、哲学の探求そのものが大いに活性化され、この衝撃が、プラトンアリストテレスにおける「真の意味において〈ある〉ものの探求」へとなだれ込んでゆくことになったのである。プラトンにおける〈イデア〉や、アリストテレスによる〈現実態〉といった概念はこの意味からすると、哲学が〈ある=存在〉の衝撃から開始されたことの刻印を如実に帯びているとも言えるのである。
 
 
 この後、プラトニズムがフィロンプロティノスといった後続の哲学者たちによって継承され、深められていったことを始めとする、数々の重要な経緯を経ながらも、最終的に哲学の歴史が中世の最盛期にたどり着いたのは、トマス・アクィナスの〈存在〉の哲学にほかならなかった。
 
 
 すなわち、トマスにおける〈存在〉の思索は単にトマス個人のものにとどまるのではなく、まさしくそれまでの千五百年以上にわたる思惟の歴史が到達した、一つの運命とも言えるものに他ならなかったのである。ただし、私たちがいま考えようとしている論点から見て重要であるのは、ここでいう〈存在〉とは、その最も根源的なモメントにおいては現存在であるところの人間の存在をではなく、絶対的な〈存在の超絶〉であるところの神の存在を指し示すものにほかならなかった、という点である。哲学の歴史における存在の思索は取り消し不可能な仕方で、神なるものの存在を問う思索として展開された。このことは、ハイデッガー自身も『存在と時間』を書く上で、また、その後の思索を展開してゆく上でも常に意識し続けていた、歴史的な事実である。彼の提起した「存在の問い」の射程を十全な仕方で捉えようとする際には、この事実についての理解を欠かすことはできない。
 
 
 
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 さて、ここからが今回の記事の本題である。公刊された書物という形においては1927年の『存在と時間』出版をもって、哲学の歴史においては再び、〈存在〉の思索が明示的に呼び覚まされることとなった。エマニュエル・レヴィナスの表現を借りるならば、この年に再び「存在する」という動詞の響きを轟かせる一人の思索者が出現したことは、哲学の歴史そのものにとって、無視することのできない事件であったということができるだろう。
 
 
 ただし、いくら強調してもしすぎることはないほど重要であるのは、このたびの存在問題の再提起は〈神の存在〉の問い直しではなく、「死へと関わる存在」を生きる人間存在の〈存在〉を、すなわち〈実存〉を問い直すという仕方で行われた、という点である。
 
 
 問題は、変わってしまったのである。生涯をかけて行う真剣な仕事として哲学の問いを問おうとする限り、私たちは、自分たちの思索するべき事柄が、私たち自身の存在を超える向こう側からやって来る運命のようにして、こちらへと到来してくることを理解する。私たちは、今とは別の時代に生まれていたならば別様に思索していたであろうし、また、別様に思索することであろう。しかし、この時代における「問われるべき問い」は他の誰でもない、この時代を生きている私たち自身が問うべき問いとして、歴史の消しがたい刻印を帯びつつ、こちらへとやって来るのである。人間存在はその本質において確かに自由ではあるけれども、この自由とは根源においては、「自分たち自身の最も固有な運命に向かっての自由」に他ならないのではないだろうか。
 
 
 「生まれることと死ぬこととの間にあって〈存在〉のような何かが覆いをとって示されることには一体、どのような意味があるのだろうか。」これこそが、1927年にハイデッガーという思索者をして『存在と時間』を世に放たせたところの、「存在の意味への問い」の深淵に他ならなかった。おそらくは、2021年の現在を生きている私たちもまた、生涯の仕事として真剣に哲学の問いを問おうとする限りは、ハイデッガー自身が運命的な仕方で投げ入れられていったのとまさしく同じ圏域に何らかの仕方で巻き込まれてゆかざるをえないのではないだろうか。〈存在〉の問いを問うことは哲学の歴史そのものにとっての運命に他ならないのであってみれば、私たちがいま向き合っている事柄は、ハイデッガー個人の範疇をはるかに越え出るものであると言わざるをえないように思われるのである。人間が、あたかも人間自身を超える所から響いてくる呼び声に呼びかけられるようにして〈事象そのもの〉に出会う時、思索が始まるということなのであろう。