イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

2021年、哲学の現在はどこにあるのか:マルティン・ハイデッガーとエマニュエル・レヴィナスの思索を通して、見えてくるもの

 
 存在問題を問うという点に関しては、もう一つの補足をしておかなければならない。今回の記事の内容は『存在と時間』の読解の範囲を超えて、もう少し広い問題の圏域を取り扱うことになるが、哲学の歴史を顧みつつこのブログの目指すべきところを見定めたいと思うので、もしよかったら、お付き合いいただければ幸いである。
 
 
 古代から中世にかけての思索は、トマス・アクィナスの〈存在〉の哲学をもってその頂点に達した。この点については前回の記事で触れたが、トマスの以後に現れたドゥンス・スコトゥスが提出したテーゼ「存在の一義性」は、トマスまでの哲学が追い求め続けてきた思考法がもはや可能ではなくなる、その限界点を指し示すものであった。この点についてはいずれ詳しく論じることとしたいが、一義性のテーゼが、〈存在〉を超絶として問うことをいわば封じたのである。これ以降、哲学の営みにおいて〈存在〉をそれとして問うことには、大きな制限がかけられることになる。だからこそ、すでに述べたように、1927年に公刊された『存在と時間』において、マルティン・ハイデッガーが改めて「存在の問い」を提起したことは、哲学の歴史においては非常に大きなターニングポイントであったと言わざるをえないのである。
 
 
 さて、今回の記事の本題に移ろう。重要であるのは、ハイデッガーの後にエマニュエル・レヴィナスという思索者が現れることによって、「20世紀の哲学の歴史が、存在問題をめぐって展開される」という事態がハイデッガー個人の範疇を越えて広がってゆくことが確定した、という点である。
 
 
 レヴィナスは、1961年に公刊された『全体性と無限』以前の時期からすでに、ハイデッガーの思索に対して根本的な異議申し立てを行う姿勢を見せていたが、このスタンスは彼の思考の到達点を示す書物である『存在するとは別の仕方で』が1978年に出版されることによって、いわばその極限に達することになる。すなわち、レヴィナスは自らの哲学を、〈存在する〉という論理の外へと向かってゆく思考として全面的に展開するに至ったのである。このことによって、ハイデッガーが1927年に提起した存在問題は、彼の哲学の最大の理解者にして反駁者でもある人間の手によって、おそらくは、ハイデッガー自身が予想することもなかったような仕方で取り上げ直されることになった。私たちはこの一事をもって、『存在と時間』出版から50年を経て、存在の解釈をめぐる争いが、いよいよ焚きつけられることとなったと見てよいであろう。
 
 
 
存在と時間 トマス・アクィナス ドゥンス・スコトゥス 存在の一義性 マルティン・ハイデッガー エマニュエル・レヴィナス 死へと関わる存在 存在とするとは別の仕方で 自己愛 存在の超絶
 
 
 
 これから先の探求を通してこのブログが確証してゆきたいテーゼは、以下の三つである。
 
 
 ① 20世紀の哲学の歴史は、存在問題という巨大な軸を中心として展開されることになった。その中核にあって本質的な仕事を残した二人の先人とは、マルティン・ハイデッガーエマニュエル・レヴィナスである。おそらくは、20世紀の哲学者たちが残したその他の重要な仕事もまた、この軸を起点として捉えられてこそ根底的な仕方で理解され、適切な位置づけを与えられうるのではないか。
 
 ②  20世紀における存在問題の追求は「人間存在の〈実存〉を、その極限において問う」という仕方で遂行された。この特徴こそが、現代における〈存在〉の思索を、他の時代における思索から区別するものに他ならない。
 
 ③ 2021年の現在、存在問題は、なお十分な仕方では問われ尽くしていない状態にある。
 
 
 ①についてはすでにこの記事の前半で簡潔な仕方ではあれ論じたので、②について見ておこう。ハイデッガーの『存在と時間』においては、目下論じている「死へと関わる存在」、そして、次に見る「良心の呼び声」をめぐる議論が、この本の核心部をなしている。彼にとって、存在の問いを問いとして仕上げるという課題のためには、実存の最内奥の根源にまで遡ってゆくことが必要だったのである。
 
 
 レヴィナスにとっても、彼の提起した「存在するとは別の仕方で」は、人間存在の経験の極限的な次元において見出されるモメントに他ならないのだった。自己愛の論理にどこまでも突き動かされている一人の人間であるはずのわたしが、〈他者〉の召喚によって呼び出され、いわば全ての自己愛的なエレメントを一つ残らず剥ぎ取られるかのようにして、「身代わり」としてその〈他者〉のもとへと向かってゆく。「〈存在する〉とはその根源において、悪なのではないか?そして、その外部はまさしく『存在するとは別の仕方で』として生起するほかないのではないか?」というレヴィナスの問いかけはおそらく、「人間の実存のリミットを問う」という仕方以外では生起しえないものであったことだろう。
 
 
 最後に、③である。哲学の歴史は、ゆっくりとしか進まない。1978年に出版されたレヴィナスの『存在するとは別の仕方で』を論じ終えた地点において、私たちにはおそらく、存在問題をめぐる現代の哲学の課題が、より明確な仕方で浮かび上がってきているはずである。あくまでも筆者個人の見立てではあるが、哲学はおそらく問われなければならない問題の圏域を、「存在の超絶」として指し示すことになるはずである。
 
 
 個人的な話にはなってしまうが、「死へと関わる存在」の概念との関わりで言うならば、これこそが、筆者がそのために生き、また、死ぬべき課題なのではないかと、最近ではますます強く思わされている。筆者は生きることが許されている限り、「存在の超絶」の哲学を仕上げるという課題のために、全力を尽くさなければならない。いつまで生きることができるかは、それこそ神のみぞ知ると言わざるをえないけれども、願わくは、この課題を達成し終えるまでは生きることを許されたいものである。
 
 
 いずれにせよ、問い、考え、哲学なるものに何らかの仕方で関わっている人々が2021年の現在においても存在している限り、筆者のしていることにも、おそらく何らかの意味はあるはずだと考えてよいのではないか。今回の記事はいつもよりも少し長く、また、個人的な見通しも入り込んできてしまったが、次回からは再び、『存在と時間』の「死へと関わる存在」をめぐる議論に戻ってゆく予定である。11月もそろそろ終わりであるが、読んでくださっている方の年末が、恵みと平和のうちに過ぎゆかんことを……!