イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

「恐るべき天才」:ブレーズ・パスカルはいかにして、サイクロイドの求積法を発見するに至ったか

 
 今回の記事では、「賭け」の議論を提出したブレーズ・パスカルその人の実存の方へと目を向けてみることにしたい。
 
 
 論点:
 思索者としてのパスカルは、彼の生きていた時代の新しい潮流の中でめざましい活躍をする可能性を持っていたにも関わらず、その実存を「時代のただ中で、その時代の精神に抵抗しながら考え抜くこと」の方へと費やした。
 
 
 パスカルの晩年には、この論点について考えてみるために参考になる有名なエピソードがある。この出来事は、彼がいかなる「可能性へと関わる存在」のうちで生きていたのかを、極めて印象的な仕方で示すものであると言えるのではないか。
 
 
 1658年のある日、パスカルは自らの病状が悪化し、甚だしい肉体的苦痛のただ中にあった。わけても歯痛がひどかったようで、彼はほとんど眠ることさえできない状態だったようである。そうした中、彼が自らの痛みを忘れるために取った方法とは、「全神経を集中して、自らの意識を完全に数学上の問題のみに集中させること」であった。
 
 
 パスカルという哲学者は一般には、「穏やかに思索し続ける、静謐な人」というイメージで思い描かれることもあるかもしれない。確かに、『パンセ』となって残されている無数の断片的思索のうちには、ほとんどこの世の人間が書きつけたものとは思われないような秩序と静けさとが宿っている。読者はこれらの文章のうちに息づいている幽邃の雰囲気から、「世間から隔絶された思索の真空空間において、絶対的な秩序を求め続けた孤独の人」を想像するかもしれない。
 
 
 しかしながら、そうしたイメージもあながち間違っていないとはいえ、ブレーズ・パスカルはその内面においては、あたかも戦うために生まれてきたとでも言わんばかりに戦闘的な人物であった。この点から言うならば、『パンセ』の諸断片のうちに見られる静寂の鋭さは、極限まで張り詰めた思考の緊張によってもたらされたものであるとも言えるのである。さまざまな証言が伝えるところによると、パスカルはひとたび一つのことに集中しだすと、他の全てのことが全く見えなくなるというタイプの人だったようである。「歯痛を忘れるために数学に集中する」という発想からして何かが飛んでいると言わざるをえないが、問題のこの日における彼の精神統一の度合いはおそらく、ほとんど人間存在の物理的限界に迫るものであったであろうことが推察される。
 
 
 
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 さて、このように極限的な精神の集中状態にあったパスカルの頭脳の中に、後の数学史の観点からすれば驚異的というほかない天啓が閃いた。すなわち、彼は当時まだ誰も発見していなかった「サイクロイドの求積問題」なる問題の解答を、自分自身でも驚くほど容易に発見したのである
 
 
 哲学や数学といった知的営為において求められる技術とは、端的に言って、ただ「集中」の一語に尽きるのではあるまいか。つまり、彼あるいは彼女はこの世の他の全ての物事をきれいさっぱりと忘れ去って、ただ目の前にある問題の細部へとおのれの全神経を局限しなければならない。常識の観点からすれば、ほとんど発狂しているとも思われかねないような戦闘的精神の持ち主のみが、このことをよくなしうるのであって、幸か不幸か、ブレーズ・パスカルはこのような気質に生まれついた人間であったようである。そこに、「限界を超える歯痛」という非日常的な要素も付け加わることによって、問題の解答が、まるで天から降りて来るかのようにして彼の頭脳に閃いたというわけであった。
 
 
 数学史においては、この時に彼の発見した「サイクロイドの求積法」は、後の微分積分法の発見にも直接につながるものであったと言われている(cf.ライプニッツは、パスカルの提案した「特別三角形」なるアイデアを考察することを通して、「微分」の正確な概念に到達した)。このエピソードから分かるのは、幾何学的秩序と、その秩序に伴う「確実性」というイデーが多大なる勝利と栄光を経験していた17世紀という時代にあって、パスカルという人物には数学の分野において世間的な意味での成功を収める可能性が十二分にあった、という事実に他ならない。ところが、今回の記事の最初の部分でも触れたように、思索者としてのパスカルは実際には自らの才能を数学に用いることよりも、哲学することに、それも「反時代的」と呼ぶほかないような仕方で哲学することに用いることの方を選択したのである。私たちはそのことの内実に迫りつつ、『存在と時間』の問題圏を深めることをも念頭に置きながら、「実存は賭けである」というテーゼをさらに掘り下げてみることにしたい。
 
 
 
 
[今日の記事のタイトルは、19世紀フランスの文学者であるシャトーブリアンの言葉、「この恐るべき天才の名こそ、ブレーズ・パスカルである」から取っています。]