イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

「事象へ現に到達している男」、あるいは、「発狂したアリストテレス」:思索するという行為は、いかなることを意味するか

 
 『存在と時間』出版以前のハイデッガーをめぐる状況について、もう少し掘り下げておくことにしたい。まずは、引き続きアーレントの回想の言葉に耳を傾けつつ、当時の状況の方へと遡ってみることにしよう。
 
 
 「第一次世界大戦後の当時、ドイツの大学には叛乱こそ起きていなかったものの、大学の教育・学習体制への不満はたいへんひろまっていました。[…]哲学はパンを得るための学ではなく、むしろ、飢えている者たちが断固学ぼうとした学であって、まさにそれゆえに彼らはじつに厳しい要求をもっていました。彼らにとって、学びたいのは世間知や人生知ではけっしてなかったし、あらゆる謎の解決策をもとめている者には、世界観だの世界観上の党派だのが選りどり見どりに提供されていて、それを選ぶにはなにも哲学を学ぶ必要はなかったのです。」
 
 
 ドイツ中を巻き込んで広がっていった「ハイデッガー現象」を理解する上で重要な歴史的事情、それは、この現象が巻き起こったのが、いわゆる「戦間期」と呼ばれる時期に当たっていたという事実にほかならない。
 
 
 ヨーロッパの学問の世界を揺るがせる「諸学の危機」は第一次世界大戦以前からすでに始まっていたのだが、この大戦の勃発と、それがもたらした悲惨とがヨーロッパの人々の、特に若者たちの間の「現実喪失」の感覚をさらに加速させていた。彼らはいわば日常性の次元から放逐されて、「生きるとはいかなることなのか?」と自問せずにはいられない状況に陥っていたのである。このような人々にとって、哲学は単なる知識を増やしてゆくゲームでも、世間でうまくやってゆくための知性のエクササイズでもありえなかった。むしろ、彼らにとっての哲学とは、「思索による、生そのものへの断固たる帰還」以外の何物でもなかったと言えるかもしれない。
 
 
 従って、当時の学生たちの哲学することへの情熱にはすさまじいものがあったのであるが、再びアーレントの言葉を借りるならば、「しかし、なにをもとめているのかとなると、彼らは自分でもわからなかった。
 
 
 彼らには、何かが決定的に足りていないことが予感されてはいたが、しかし、何が必要であるのかまでは自分自身では判然としなかったのである。このことは、改めて考えてみるならば、事柄そのものの必然性からしてもまことに無理からぬことであると言えるのかもしれない。プラトンにおける古きパラドックスを思い起こすならば、何が必要であるのかが前もって分かっていたとしたら、彼らはそもそも、それを探し求める必要もなかったであろうからである。
 
 
 1919年のマルティン・ハイデッガーの教壇への出現、そして、その後に巻き起こった「ハイデッガー現象」は、まさしくこうした歴史的文脈においてこそ理解されなければならないだろう。それはあたかも、彼らに対して「これこそがリアルだ。これこそが、哲学的に物事を考えるということなのだ」という衝撃が、突然に突きつけられたかのようであった。「求めていたのは、まさしくこれ以外の何物でもなかった」という戦慄の気分が、彼らを捉えた。その結果、ハイデッガー講義ノートがドイツ中の学生たちの間に出回り、「哲学の隠れた王」あるいは「革命的哲学者」が目下活動中らしいという異様な噂が広まっていったことは、すでに述べた通りである。
 
 
 
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 この現象において根本のところで問題となっていたのは、何だったのだろうか。ハンナ・アーレントは次のような言葉で、当時のことを回想している。
 
 
 「噂は彼らをフライブルクのあの私講師のもとへ、少しのちにはマールブルクへ誘い寄せました。その噂はこう言っていました。フッサールが宣言した事象へ現に到達している男がいる、その男は、それが大学人のではなく思索する人間の関心事であること、しかも今日や昨日にはじまったものではなく大昔からの関心事であることを知っている、そして彼が過去を新たに発見しているのは、まさに伝統の糸が絶たれているからこそなのだ、と。[…]一人の教師がいる、この人からなら、考えるということを学べるかもしれない、と。」
 
 
 強調部分にしておいた二つの箇所について、まずは、後の方の表現に注目しつつ考えておくこととしたい。飢え渇くようにして哲学することを求めていた学生たちの間で前もって予感されていた感覚、それは、「私たちはひょっとしたら、考えるということが何を意味するのかを知らないのではないか?」というものであった。
 
 
 日常性の次元においては、私たちは「考える」という語を何気なく使用している。しかし、異様な「現実喪失」の時代的雰囲気(「私たちには一体、何がリアルであるのかが分からない……。」)のうちにあった彼らは、まさしく実存の奥深いところで感じ取っていたのである。私たち人間はひょっとしたら、言葉の真正な意味において「考える」という行為を、本当は行っていないのではないだろうか。人間存在がついに思索することを開始するならば、その時、世界というものは今とは全く異なった仕方で立ち現れてくることになるのではないか。ハイデッガーのもとで哲学を学んでいた学生の一人は、講義の最中に、いま目の前で語っているこの教師は、ひょっとしたら「発狂したアリストテレス」なのではないかという思考に突然に襲われたことがあったと証言している。彼は、思考するという行為のうちにある何か度外れなものを、肌で感じ取っていったのである。
 
 
 「事象へ現に到達している男」という表現について言うならば、「この人はひょっとしたら、事象そのものに到達しているのではないか?」と他者たちから思われるような人間であるための条件はたった一つしか存在しないのであって、それは言うまでもなく、事象そのものに実際に到達していることである。ここまで来たら必ずや何事かが起こるに違いない、何か途轍もないことが巻き起こって、それを通過してしまったら、歴史はもはや元に戻ることのできない段階へと突入してしまうに違いないという期待の中で出版されたのが、問題の『存在と時間』に他ならなかった。私たちは次に、1927年におけるこの本の出版という出来事が持っていた意味について、改めて考えておくこととしたい。
 
 
 
 
[今回の記事で取り扱った「私たち人間は、思考するということが何を意味するのかを知らない」というテーマについては、ジル・ドゥルーズも『差異と反復』の第三章において、狂える思索者アントナン・アルトーの例を引き合いに出しつつ論じています。いずれにせよ、〈考える〉こと、あるいは〈存在する〉ことを巨大な謎として再び浮かび上がらせて同時代の人々に突きつけたという意味では、ハイデッガーという哲学者の出現は、非常にエポックメイキングな出来事でした。カントの『純粋理性批判』がその後の百年以上にわたって甚大な影響力を持ち続けた(あるいは、今もなお持ち続けている)ように、ハイデッガーの『存在と時間』(と、後年の思索)もまた、2022年現在の私たちにとって無縁なものではありえないことを考えるならば、20世紀の哲学の歴史を受け止め直しておくことは私たちにとって、単なる知識を得る以上の意味を持ちます。「存在の超絶」の哲学を構築することがこのブログの遠い目標ですが、絶えずやって来ては過ぎ去ってゆくさまざまな流行の次元を超えて、「哲学に関心を持つ21世紀の人間が受け止めておきたい、ミニマムな前提」を確定しておくことも、取り組んでおきたい課題の一つです。まだ先は長そうですが、付き合ってくださる方々がいることに励まされつつ、探求を進めてゆきたいと思います。]