イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

「人間存在は果たして、何に耳を傾けるべきか?」:『存在と時間』が提起する根本問題について

 
 今回は少し立ち止まって、次の問題についてじっくりと考えてみることにしたい。
 
 
 問題提起:
 「聞く」ことをめぐる『存在と時間』の議論は2022年の現在を生きている私たちに対して、私たち自身の生のあり方に関わる非常に重要な問いを投げかけていると言えるのではないだろうか。
 
 
 ① 現存在であるところの私たちは普段、〈ひと〉の言うことに耳を傾け、気がつかないうちにその流れの中に飲み込まれるようにして生きていると、ハイデッガーは言う。
 
 
 先に注意しておくと、私たちの人生においては、「他者が本来的に語るのに耳を傾けることによって、私たち自身の生き方が変わる」ということも確かに起きているのだが、『存在と時間』の議論の関心はそこにはない。この関心の欠如は、本の欠陥というよりも、本自体の問題設定からしてそこには焦点が当たらないことになっているという方が、実情に合致しているだろう。それでも、〈ひと〉の語りによって形づくられる公共性の世界には、生きることの真実を覆い隠してしまう可能性があるというハイデッガーの見方には、大いに耳を傾けるべきものがあることも確かなのではないか。
 
 
 公共性の世界では、次々に新しいトピックについて語られる。私たちは、そうした「現在急上昇中のトレンド」について知ることから何かを学びを得ることも、確かにあるだろう。しかし、〈ひと〉の言うことの目まぐるしい奔流の中で自分自身を見失って、人生において何が大切で、何を守り抜いてゆかなければならないのかが分からなくなってしまうとしたら、私たちの生は静かに窒息させられてゆくほかないのではないか。「実存」なるものは、絶えず忘却されてゆくただ中にある。公共の言論空間というのは、本当は常に「自分自身を見失うこと」の危険と隣り合わせのところで営まれてゆくほかないという運命を背負っているのではないだろうか。
 
 
 
存在と時間 ハイデッガー 公共性 ひと 最も固有な存在可能 良心の呼び声 カント キルケゴール アウグスティヌス 自由意志 自律 断片から見た世界 実存
 
 
 
 ② その一方で、『存在と時間』の議論は、私たちに向かって語り続けているもう一つの声が存在すると語っている。それこそが、「良心」の現象によって示されるところの、内なる呼び声に他ならない。すでに見たように、私たちは、日常においてはこの声の語るところを絶えず聞き落としているけれども、この声は、人間を自らの「最も固有な存在可能」へと向かって呼び覚ますべく静かに語り続けているのではないだろうかと、『存在と時間』の議論は示唆しているのである。
 
 
 この声が語るところは、世の中で語られていることとは少し違っているかもしれない。この声はおそらく、新しい話題に追いついておけとか、みんなが乗っているバスに乗り遅れるなとか語るようなことはないだろう。呼び声は、〈ひと〉の語りを沈黙のうちで通り過ぎるのである。むしろ、呼び声はたとえば、その人自身がずっと大切にし続けているもの、世の中で目立つものではないかもしれないけれど、その人がとても大事だと思っていて、ひょっとしたらまわりの何人かはその存在に気づいているかもしれないもの、それを大切に守って正しく用いるならば、その人の隣人を本当の意味で幸福にできるかもしれないものをこそ守り続けるように語るのではないだろうか。
 
 
 「呼び声」という日常からはかけ離れた主題を論じることによって、『存在と時間』という本の議論は、一見すると危うげなものにも見える領域へと深く入り込んでいっていることは確かである。しかしその一方で、「良心の呼び声」をめぐる分析は、私たちの人生を真に私たち自身のものたらしめるところの、きわめて根底的な生の局面の存在を浮かび上がらせていると言うこともできるのではないだろうか。私たちとしては引き続き「呼び声」の分析を進めつつ、この経験の手触りを少しずつ確かめてゆくこととしたい。
 
 
 
 
ハイデッガーの「良心の呼び声」ですが、読解を本格的に開始する前に思っていたよりもずっと深い問題が横たわっているような気がしています。カントの「自律」やキルケゴールの「瞬間」とのつながりも気になりますが、今の筆者にとって特に関心があるのは、アウグスティヌスの「自由意志」や「恩寵」をめぐる問題との関連です。ここは非常に重要な部分になりそうなので、体調を気づかうことも兼ねて、しばらくは週に一度の更新ということにしてじっくりと議論を煮詰めてみることにします。この後、アウグスティヌスの真理の探求を追っている「断片から見た世界」の方との関連が深くなってゆきそうなので、もしよかったら、そちらの方もよろしくお願いいたします。読んでくださっている方の一週間が、穏やかなものであらんことを……!]