イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

「外に出てゆかず、きみ自身のうちに帰れ」:「良心の呼び声」に関する、これまでの分析の総括

 
 今回の記事では、「良心の呼び声」の性格を見定めるというこれまでの作業を総括する意味で、「良心とは気づかいの呼び声である」という『存在と時間』第57節のテーゼを検討しておくこととしたい。
 
 
 「現存在が呼ぶ者であり、同時に呼ばれる者であるとする命題は、いまやその形式的な空虚さと自明性とを失ってしまっている。良心は気づかいの呼び声としてじぶんをあらわにしている。[…]良心の呼び声すなわち良心そのものは、現存在がじぶんの存在の根拠において気づかいであるというしだいのうちに、その存在論的可能性を有していることになる。」(『存在と時間』第57節より)
 
 
 これまでの実存論的分析の流れの中で、現存在、すなわち人間の根本的なあり方はすでに「気づかい」として露呈されていた。この「気づかい」の第一次的な意味とは、「可能性に関わる存在」に他ならない。すなわち、人間存在は自分自身の将来に関わりながら、「あるべき自分自身」の姿を気づかう。人間はその本質からして、自らの存在可能を気づかい続けながら存在し続けるような存在者なのである(「実存の過程には、『跳躍』の行為が必然的に含まれている」)。
 
 
 ところで、「良心の呼び声」の経験とは、人間が自らの「最も固有な存在可能」に向かって呼び覚まされるような経験に他ならないのだった。「〜するべきではないか?」「〜するべきではないのではないか?」といった内的な示しの出来事は、現存在であるわたし自身の思惑をも超えて、わたしを打つのである。しかし、「可能性への気づかい」がもともと人間の人間たるゆえんに他ならないのであってみれば、この「内なる呼び声」の経験は、自分自身の本来的な可能性を鮮明に指し示すような経験として、まさしく人間の人間らしさが根源的な仕方で露わになるような経験であると言えるのではないだろうか。
 
 
 かくして、「良心とは気づかいの呼び声である」というテーゼは、良心の現象こそ人間の生のあり方が問われる根源的な場であることを、改めて定式化するものであると言えそうである。『存在と時間』は実存の本来的なあり方としての「決意性」を、「気づかいそのものの本来的なあり方」として見定めることになるだろう。私たちはその瞬間に向かって、一歩一歩、分析の歩みを進めてゆかなければならない。
 
 
 
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 「外に出てゆかず、きみ自身のうちに帰れ。真理は人間の内部に宿っている。
 
 
 『真の宗教』における、アウグスティヌスの言葉である。私たちは4世紀を生きたアウグスティヌスと、20世紀を生きたハイデッガーという二人の思索者が語っていることのうちに、人間存在なるものの本来的なあり方に関して、共通するものを見てとることもできるのではないか。
 
 
 すなわち、生きることの意味を見出したいならば、私たちが最初になすべきことはおそらく、外の世界を忙しく探し回るといったことではないのである。むしろ、大切なのは彼らが言うように、自分自身のもとに還帰すること、自らの心の内側で、自らの存在を超えて聞こえてくる、「内なる呼び声」に耳を傾けることの方なのではないか。私たちが生きているこの現代には、さまざまな情報が至るところに氾濫している。けれども、最も大切な声はおそらく、常に同じ一つの場所から発され続けているのであって、それこそが「心」あるいは「内部」であり、気づかいが、本来的なおのれ自身の姿に出会う場所に他ならないのである。哲学が抱えている務めの一つは、「きみ自身のうちに帰れ」を正面から語り続けることのうちにあると言うこともできるのではないだろうか。
 
 
 「世界内存在」という概念で、自分が生きている世界そのものの方へとダイナミックに向かってゆく人間のあり方に焦点を当てようとする『存在と時間』は、意識や主観といった言葉をあえて用いないというスタンスで書かれている。しかし、自分自身にのみ聞こえてくる「呼び声」を分析しようとする「良心の呼び声」に関する議論のパートは、思索者としてのハイデッガーが「内的な経験」としか呼びようのない領域について語ることを、事象そのものの側から促されている箇所であるようにも思われるのである。以上の点を指摘した上で、私たちとしては「決意性」の概念への到達に向けて、次の課題の方へと進んでゆくことにしたい。
 
 
 
 
[読んでくださって、ありがとうございました。「良心の呼び声」に関しては、①呼び声の性格を見定める、②呼び声が理解させる「負い目ある存在」の内実を明らかにする③「呼び声を本来的に理解する」ということの意味を把握する、の三つの課題があり、今回の記事では①のまとめを行いました。③まで到達した時に十全な形で明らかになる「決意性」の概念にたどり着くことを目指して、じっくりと進んでゆくことにしたいと思います。読んでくださっている方の一週間が、平和で穏やかなものであらんことを……!]