イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

叱責する良心、あるいは、「重荷」から解放されるという可能性:アウグスティヌス『告白』の場面を通して考える

 
 ハイデッガーの言う「負い目ある存在」を直観的に理解するために、今回は一つの具体的なケースを見てみることにしたい。アウグスティヌスの『告白』第八巻第七章における次のような場面を元に考えてみることにしよう。
 
 
 「さて、わたしはこの世の希望を捨てて、ただあなたにのみ従うことを日一日と延ばしているのは、わたしの進路を向けるべき確実なものが明らかにならないからだと考えた。しかしわたしが、わたしに対して丸裸にされて、わたしの良心がわたしをつぎのように面詰する日が来た。『わたしの舌よ、おまえはどこにあるのか。おまえは真理が確実でないために、虚妄のにを捨てることができないといったではないか。見よ、真理はもう確実である。それなのに、おまえはまだその虚妄の荷を負うている。』わたしは、[…]このように内心を責めさいなまれ、恐ろしい羞恥心に心をかき乱されていた。」
 
 
 この文章はアウグスティヌスが32歳の時、「取って読め」と呼ばれる、決定的な回心の出来事を経験するその日のことを語ったものである。その日、彼はまさしく「限界状況」とでも呼ぶほかないような実存の危機のただ中にあった。
 
 
 「『新しい人間』として生き始めるべきことは分かっているのに、どうしても決定的な一歩を踏み出すことができない」、これがアウグスティヌスの直面していた問題であった。彼はそれまで、彼にとって真実な生き方であると思われたところの「キリスト者として生き始めること」を望んでいたにも関わらず、最後の一歩を踏み出すことができずに苦しみ続けていたのである。
 
 
 情欲を振り捨てることができないことが最も大きな問題であったとアウグスティヌスは回想しているが、そのことも含めて、変わることのできない自分自身の惨めさが、彼を苦しめていたのである。自分自身のむき出しの真実、それは、彼にとっては自らの「罪ある存在」に他ならなかったのであるが、この脱出不可能な現実の重みのうちで、彼は出口を見出すことができずにもがき続けていた。存在と時間』の語る「負い目ある存在」とはこのような、重荷としての自分自身のあり方を言い当てる表現であるということができるだろう。現存在であるわたしは自らの根拠であることを請け負う存在として、「応答せよ!」と呼びかけてくる「良心の呼び声」に答えることを迫られている。自分自身であるということの重荷に対して真正な仕方で応答することは時に、ほとんど不可能とも見えるほどに困難な課題ともなりうるものであると言えるのではないか。
 
 
 
ハイデッガー アウグスティヌス 告白 回心 取って読め 良心 負い目ある存在 存在と時間 実存
 
 
 
 人間が自分自身の良心によって根底のところから問い詰められる場面を描き出しているという点で、上に引用した『告白』の箇所は非常に意義深いものであると言うこともできそうである。しかし、この場面の後にアウグスティヌスの身に起こることとの関連において考えてみる時には、私たちは、人間が自らの「負い目ある存在」に向き合うことは、重荷であるとはいえ、彼あるいは彼女が自らに最も固有な幸福に到達することにも深いところで繋がっていると見ることもできるのではないか。
 
 
 すでに述べたように、この箇所の後にはよく知られた「回心=取って読め」の出来事がやって来る。今回の記事ではそのことについて詳しく論じる余裕はないが、この出来事はアウグスティヌスに、葛藤の後に来るこの上ない平安を与えたものであることは指摘しおきたい。「生きることの重荷から解放された!」という安らぎのうちで、アウグスティヌスはまさしく、それまで不可能であると思われていた「新しい人間」としての最も固有な存在可能を生き始めている自分自身を見出したのである。彼にあって、自らの「負い目ある存在」を経験すること、自分自身の惨めさに打ちのめされることは、新しく生まれ変わるための不可欠な前提をなしていたと見ることもできるのではないだろうか。
 
 
 かくして、良心の現象をめぐる根底的に重要な実存論的事実が、私たちの前に明らかになりつつある。「良心の呼び声」によって呼ばれることの重苦しさは、真に安らかな生に到達するためにくぐり抜けなければならない「産みの苦しみ」のようなものであると見ることもできるのではないか。「負い目ある存在」の概念は、真の幸福なるものと奥深いところで連関するものなのではないかという見通しが、ここから導かれてくる。私たちは『存在と時間』のテクストに立ち返りつつ、一歩一歩、分析を進めてゆくこととしたい。
 
 
 
 
[読んでくださって、ありがとうございました。今年はクリスチャンプレス紙で行っている『告白』読解も合わせて、「回心=決意性」のモメントを徹底的に掘り下げてゆくことになりそうです。この一週間が、平和で穏やかなものであらんことを……!]