イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

ちっちゃくなっているだけだ

  昨日の話を振り返るところから始めさせてください。ライプニッツにとっては、人間は、母胎から生まれてくる前から、お父さんの精子のなかで、五体満足の状態で存在しています。それだけではなくて、私たちの一人一人は、はるかな昔から人類の最初の祖先であるアダムの睾丸のなかで、精子にくるまれた無限に小さな赤ちゃんとして、こんこんと眠りつづけていたのでした。


  そうなってくると、普通の意味で生まれてくるというのは、たんに大きくなって外に見えるようになることにすぎない、ということになります。ずっと昔から存在していた無限に小さな赤ちゃんが、受胎することによって初めてすくすくと育つことができ、やっと他の人たちの目にも見えるようになる。誕生とは拡大である、ということです。


  生まれてくるというのは、たんに大きくなることにすぎない。となると、その逆も成り立つと想像することができます。つまり、死ぬということはたんに小さくなることにすぎない、ということになるわけです。論理的にはそのように予想することができるわけですが、ライプニッツはまさに、そう考えることこそが正しいのだと考えました。


  人間が死ぬときには、たしかに身体そのものが朽ちてしまったように見える。けれどもそれは、誕生がじつは拡大にすぎないのと同じように、見た目のうえでのことにすぎない。死んだと見えている人間は、今まで身体として用いていた物質を置きざりにして、ふたたび小さくなったのだ。たしかに、私たちにはその小さな人間をもう見ることができないけれども、それは、生まれてくる前の無限に小さな赤ちゃんが見えないのとまったく同じことだ。死とは、縮小なのである。


  ライプニッツによれば、私たちは、生まれたり死んだりするのではなくて、大きくなったり小さくなったりするだけなのだということになります。この人ははたして本気で言っているのだろうかと思われた方も多いかもしれませんが、ライプニッツ本人はといえば、いたって真面目であったようです。でも、法律家として活躍し、微積分を発見し、計算機を考案し、二進法まで思いついた大天才からそう言われると、こちらも少しだけ自信がなくなってきます。


 「あれ、人間って、いつか死ぬんだったっけ。それとも、小さくなるだけなんだったっけ。今まで死ぬのは怖いと思ってたけど、ひょっとして、小さくなるだけなのかな。そうだといいな。ていうか、そう考えたとしても、論理的には全然おかしくないわけだよね。ひょっとしたら、本当にそうかもしれないわけだし。そうだよ、そうなのかもしれないじゃん。そんなのおかしいって言うやつがおかしいんだよ。全然おかしくないよ。むしろ、そうとしか思えない気がしてきたな。あれ、なんで今まで死ぬだなんて思ってたんだろう。ほんとは小さくなるだけなのに。もっと早く気づけばよかったな。うん、そうに決まってる。今こそわかった。人類はついに、死を超越したんだ。ありがとう、ライプニッツ。人間は、死にはしない。ただ、小さくなるだけだったんだね……!」はたして、当時の人びとのうちにそう賛同してくれた人がいたかどうかはわかりませんが、ライプニッツの哲学は、怪物的な論理が持つとても奇妙な美しさでもって今も私たちを魅了しつづけています。


  死んだのではない。ちっちゃくなっているだけだ!いくらなんでも、めちゃくちゃです。でも、無理が通れば道理が引っこむというのが、哲学の世界の鉄則でもあります。ライプニッツのように、常識にたいしてめちゃくちゃな言いがかりをつける人たちを見て、いいぞいいぞ、もっとやれ!とお思いになる方は、とても哲学に向いているはずです。僕自身はどちらかというととても常識的な人間だと思いますので、そういう人たちを見ていると、なんだかほっとすると同時に少しだけうらやましいです。僕だって、いつか常識の世界に闘いをいどんでみたい!でも、そういう人たちって、最初から常識なんて気にしないんだろうなあ……