イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

2015-06-01から1ヶ月間の記事一覧

ももたろうくんのその後

かつて、『子猫とセネカ』という記事のなかで、一匹の子猫について紹介させていただいたことがあります。その記事のうちで僕は、「子猫のももたろうくんは今日、千葉の家にもらわれてゆきます」と書きました。 そのももたろうくんなのですが……実はまだ、わが…

『ジョジョの奇妙な冒険』の形而上学(3)

スゴクいい!いいビンタだ!手首のスナップといい腰の入れ具合といい、こういうビンタを繰り出せるんなら、君の健康状態はまちがいなく「良好」だ! メローネ 「いい」というこのシンプルな叫び声は、『ジョジョ』シリーズの全編をとおして鳴り響いています…

『ジョジョの奇妙な冒険』の形而上学(2)

産まれろ……生命よ……産まれろ、新しい命よ…… ジョルノ・ジョバァーナ 『ジョジョ』のうちに見られるプロセスの感覚には、生命的なものの質感がともなっています。SF的な設定を自由自在に操りながらも、マンガの展開がけっして頭のなかだけのものに終始する…

『ジョジョの奇妙な冒険』の形而上学(1)

なにかわからないが、この感覚……ぼくのこの『ゴールド・エクスペリエンス!』もっと生まれるような気がするッ!もっと何かが生まれそうだッ! ジョルノ・ジョバァーナ 私たちは、『ジョジョ』の全編をとおして、プロセスの感覚とでも呼ぶべきものが常にみな…

荒木飛呂彦さんをたたえて

ひとたびジル・ドゥルーズについて論じてしまったあとでは、この国最大のドゥルージアンの存在にも、この際ぜひとも触れておきたいという思いを止めることができそうにありません。『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズを描いていらっしゃる荒木飛呂彦さんこそ…

現代のブッディスト、ジル・ドゥルーズ(4)

出来事が、現勢化されないものと捉えられていても、そこに欠けるものはなにもない。 ジル・ドゥルーズ『内在 ーひとつの生……』 内在平面は、根拠も理由も持たないまま、ただそこにある。主体も対象もないところで、出来事のネットワークだけが存在していると…

現代のブッディスト、ジル・ドゥルーズ(3)

ひとつの内在平面について語りうるのは、内在がもはや自分以外のなにかの内在ではなくなったときだけである。超越論的場が意識によって定義されないのとまったく同様に、内在平面はそれを収容しうるひとつの《主体》やひとつの《客体》によっては定義されな…

現代のブッディスト、ジル・ドゥルーズ(2)

ひとつの生は、内在の内在、絶対的な内在。それは力、まったき至福。 ジル・ドゥルーズ「内在 ーひとつの生……」 主体や対象といったアクチュアルなもののを超えでて、経験が生まれでてくるところへさかのぼってゆくと、そこには、ヴァーチャルなものの圏域が…

現代のブッディスト、ジル・ドゥルーズ(1)

ひとつの生は、潜勢力、特異性、出来事からなる。潜勢的と呼ばれるものは、現実性を欠いたなにかではない。そうではなく、それに固有の現実性を与える平面にそって、現勢化のプロセスにはいってゆくものだ。 ジル・ドゥルーズ「内在 ーひとつの生……」 20世紀…

ミラーさんが語る、魂のメッセージ

[この記事は、昨日の記事のつづきです。久しぶりにやって来たヘンリー・ミラーさんが、今日も引きつづき語ってくださるそうです。] 「君に足りないのは、押しの強さだよ!いいか、押すってのは、なにもバナーの話をしてるんじゃないぞ。」いや、バナーのこ…

再び、あの人からのアドバイス

「やあ。久しぶり。」へ、ヘンリー・ミラーさん。お久しぶりですね。「うん、ブログを始めて一ヶ月たったみたいだし、また来てみたぜ。」う、嬉しいです。「ふむ、そう言ってる割には、全然嬉しくなさそうだな。俺のことが嫌いかね?」いえ、そんなことは!…

私たちは、まだ始めたばかり

この一週間のあいだ、ずっと大きなことばかりを考えつづけていたために、日常に戻ってゆくのが難しくなってしまいました。ほんとうは、最近ふとしたきっかけで教えていただいた、キング牧師の最後の説教について書いてみようかと思っていたのですが、そんな…

インディペンデント知識人について、もう少しだけ考えてみる(2)

今回の一連の記事を書いたあとに、友人から、「いまいち、インディペンデント知識人なるものが出てこなければならない必然性がわからない。別に、そんなものは出てこなくても大丈夫なのではないか?」という意見をもらいました。そこで、補足も最後となる今…

インディペンデント知識人について、もう少しだけ考えてみる(1)

先週は、人文知の未来について、五日間のあいだ考えてみました。インディペンデント知識人たちと大学の研究者たちとが協働することにより、社会のなかでの人文知の認知度をあげてゆくことで学問の危機を救う助けとすることができるのではないかというのが、…

人文知を守ってゆくべき、いちばん大切な理由

今回の件について、最後の話をしたいと思います。今週の火曜日の午後、人文知の世界の未来について大学の友人たちと、食堂のテラスで話をしました。その場にいた三人とも、人文系の学問がなんの役に立つのかということについてあれこれ頭を悩ませながら考え…

21世紀、人文知の世界はこうなる(2)

社会のすみずみにまで知ることの喜びを発信しつづけるカリスマである、インディペンデント知識人たち。彼らの活動がますます多くの人びとに知れわたってゆくことによって、人文知の世界のあり方が変わってきます。とりわけ注意しておきたいのは、「人文系の…

21世紀、人文知の世界はこうなる(1)

私たちはいま、視野を広げてみなければならないところに来ています。人文系の学問にたいして国から予算が出ないという問題を解決するためには、人文知が世の中の役に立つということを認めてもらわなければならない。けれども、そう考えはじめると、このこと…

人文系の学問の未来を考える(2)

人文系の学問の危機にたいして、どう対処したらいいのでしょうか。これはつまるところ、人文系の学問が国から予算をもらうためにはどうしたらいいだろうかという問題になるかと思います。あまりお金の話はしたくはありませんが、現実を見ないわけにはいかな…

人文系の学問の未来を考える(1)

今日は、いつもよりも少し真面目な話をさせてください。ここのところ、大学の人文系の学問が危機に立たされているというニュースが入ってきています。このニュースがとても重要なものであるのは、これが昨日や今日に始まった話ではないし、これから先の数十…

子猫とセネカ

まさか本当に、猫を集めることになろうとは。『ねこあつめ』についての記事を書いたその日に、子猫を保護することになりました。この子は最近、お母さんと一緒に、わが家の庭をひんぱんに訪れていたところでした。もらい手が見つかったので、幸いなことに昨…

ねこあつめの秘密

今日は休日なので、心のなごむ話題でゆきましょう。最近、巷では、『ねこあつめ』なるアプリがとても流行しています。これは、手元のスマートフォンの中に広がる庭のなかに、次から次へとかわいい猫たちがやってくるというコンセプトのゲームです。一部の猫…

ローマ皇帝のような気概で

昨日から、一攫千金について、自信をもって書けなかったことを悔やんでいます。その理由は明らかで、僕がこれまでの人生のなかで、一攫千金の体験をしたことがないからです。気のきいたことを何か書こうとして、最後の段落のあたりで一時間ばかりうなってい…

ギャンブルをするからには、せめて

僕は今まで、自分がギャンブルに身を任せるなどということは、これから先も決して起こらないだろうと考えてきました。でも、長いスパンで考えてみると、就職先もまったく考えないままに30歳までふらふらと過ごしてきたというのは、ギャンブル以外の何物でも…

キャラクターがやってくる

哲学者は、自分自身のキャラクターに襲われるという体験をしたときにはじめて、哲学者としての活動を始めることができる。ジル・ドゥルーズは、最晩年になってから書いた『哲学とは何か』という本のなかで、「概念的人物」という言葉を用いてこのことを説明…

ブログが哲学の歴史をつくる?

せっかくの機会なので、ブログが持っている可能性についてもう少しだけ考えてみたいと思います。昨日は、知り合いから「インターネットが出てきてから、議論はすでに出尽くしているんだ。今さら何を当たり前なことを!」と言われてしまいました。反論の余地…

ブログを半月書いてみて、考えたこと

今日から6月です。早いもので、このブログを始めてからもう半月になりますが、思っていたよりもずっと多くの方に読んでいただけているようで、本当にありがたく感じています。僕はこれまで、インターネット上での言葉のやりとりの世界に触れたことはほとん…