イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

2021-07-01から1ヶ月間の記事一覧

古代ギリシア人たちを襲った衝撃:原初を根源的に反復するという哲学的課題

最初に、『存在と時間』第44節におけるハイデッガーの思考の根本モチーフを確認しておくことにしよう。 ハイデッガーの思考の根本モチーフ: 古代ギリシア人たちに襲いかかり、哲学の営みそのものを開始させたその衝撃のただ中で、真理現象を根源的に捉え直…

「真理問題は二千年来、ほとんど一歩たりとも進展していない」:『存在と時間』の問題意識

さて、真理論である。これまでに得られた分析の成果を総動員しつつ、ハイデッガーが『存在と時間』第44節「現存在、開示性、真理」で答えようと試みているのは、次のような問いにほかならない。 『存在と時間』第44節を突き動かしている問い: 真理とは何か…

「からだから心臓が引き千切られるのだ」:ハイデッガーの手紙から

今回の記事から真理論に入る予定であったが、当該箇所である『存在と時間』第44節を読み直していたところ、おそらくはハイデッガーが全精力をもって書きつけた入魂の箇所であることもあって、読解に集中していたら精神が崩壊しかけてしまった……。無理をして…

驚異とは、私たちが言葉を交わし合っているというそのことである:「語り」についての分析の終わりに

私たちは前回までの記事で、ハイデッガーの「語り」論について見ておかなければならない論点をたどり終えた。最後にあらためて確認しておきたいのは、この「語り」論が、いわば二つの理念的なモメントによって構造化されているという点にほかならない。 ①「…

言葉が語られるただ中で、口をつぐむこと:『存在と時間』の沈黙論の内奥

「互いに共に語りあっているときに沈黙する者は、語が尽きないひとより本来的に『理解させるようにする』こと、つまり了解を形成することが可能である。」(『存在と時間』第34節より) 人間同士が本来的な仕方で語り合うときには、互いが互いの言っているこ…

返信が来るとき、来ないとき:沈黙について考えるための予備的考察

沈黙することについては、以下のハイデッガーの言葉を手かがりにして考察を進めてゆくこととしたい。 「おなじ実存論的な基礎を、語ることのもうひとつの本質からする可能性、すなわち沈黙することが有している。互いに共に語りあっているときに沈黙する者は…

聞くことと読むこと、あるいは、師と弟子をめぐる考察(付:『存在と時間』の読解を始めてみて思うこと)

「すでに理解している者のみが、耳を傾けることができるのだ。」(『存在と時間』第34節より) 聞くことと「語り」、「理解」をめぐる論点は哲学を学ぶ人にとって、非常に重要なものである。というのも、哲学を学ぶとはある意味で、他者の言葉に耳を傾けるこ…

他者の言葉に、真剣に耳を傾けるとき:「理解」と「語り」をめぐる一論点

次のハイデッガーの言葉を手がかりに、他者の言葉を聞くという行為について考えてみることにしよう。 「語ることと聞くこととは理解にもとづく。理解は、多くを語ることからも、忙しく聞きまわることからも生じない。すでに理解している者のみが、耳を傾ける…

「語りが外へと言表されたものが、ことばである」:ハイデッガーの主張の射程

生そのものを分節化する契機である「語り」は、私たち人間の存在を、その最も深いところから形づくっている。 すでに見たように、内存在、すなわち、世界のうちに人間が住まうその住まい方は、「情態性」と「理解」によって特徴づけられる。人間は気分づけら…

世界内存在の「深い奥底」:本来的な仕方で、言葉を語るために

私たちが生きている日常の生の世界は常にすでに、分節化されている。たとえば、音を聞くという経験にしてからが、すでにそうである。 「『さしあたり』私たちが聞くのは、騒音や音のざわめきではだんじてありえない。軋む車であり、オートバイである。ひとは…

世界の方へ、意味の深みへ:言葉の実存論的基礎を求めて

前回までの分析において、言明は「伝達しつつ規定する提示」として示されることになった。言葉は①提示し、②規定し、③伝達するという、比類のない力を備えている。しかしながら、いまや次のハイデッガーの言葉を手がかりにしつつ分析の進む方向を向け変えて、…

言明の第三の機能、あるいは、伝えられないはずのものを伝達することについて

最後に、③言明は伝達する。言葉は言葉である限り、その本質からして、他者と分かちもつことに向かって開かれている。 哲学が「このハンマーは重すぎる」のような言明について考える際には、これを命題としてのみ見て、その意味と真理値(命題が真、あるいは…

語ることの限りない喜びについて:言明は規定する

②言明は規定する。「このハンマーは重すぎる」という言明にあって、述語「重すぎる」は主語「ハンマー」がいかにあるかを規定している。そのことによって、世界のうちを漂っていた視線がこのハンマーに集中させられて、さらに、ハンマーの「いかにあるか」(…

純粋状態のアポファンシス:言葉の持つ比類のない力について

「語り」について論じるための下準備として、まずは言明、すなわち「このハンマーは重すぎる」のような表現はどのように機能するのかという問いに取り組んでみることにしよう。この問いは、人間存在にとって言語活動が持つ意味という問題に直結しているので…

「語り」は語らない:内存在の第三の契機「語り Rede」

内存在のあり方を規定する三つ目の契機は「語り Rede」であり、ここにおいてはじめて「言語とは何か?」という問いが正面から問われることになる……のではあるが、この場合にも第二の契機である「理解」についてなされたのと同じ注意点を、まずは喚起しておか…

「いかにして、人は本来のおのれになるか」:「理解」に関する考察の終わりに

「理解」についての議論を締めくくるにあたって最後に見ておきたいのは、「理解」の契機が、いわゆる意識の次元よりも奥深いところから人間を構成するものであるという論点にほかならない。 現存在、すなわち人間は常にすでに「投企してしまっている」(前回…