イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

わたしの誕生をめぐる冒険

偶然性についての考察のおわりに

最後に、最初の問いにもう一度立ち戻ってみることにします。 「わたしには、生まれてこないということもありえたのだろうか。」 様相の不可知テーゼから言えるのは、人間がこの問いに対して、自分の出した答えこそが絶対的に正しいと主張することは不可能だ…

発散する真理ふたたび

わたしの誕生に関する、様相の不可知テーゼ: わたしの誕生という出来事に関しては、必然性言明(A)も偶然性言明(B)も、絶対的に正しいものとして、その妥当性を証明することは不可能である。 上の不可知テーゼについてさらに指摘しておきたいのは、たと…

懐疑と狂信

わたしの誕生に関する、様相の不可知テーゼ: わたしの誕生という出来事に関しては、必然性言明(A)も偶然性言明(B)も、絶対的に正しいものとして、その妥当性を証明することは不可能である。 すでに、相当に理屈めいた議論になってしまっていますが(哲…

様相の不可知テーゼ

わたしの誕生に関する偶然性言明(A言明): わたしには、生まれてくることも生まれてこないこともありえた。 この言明とは反対のものとしては、次のような言明が考えられます。 わたしの誕生に関する必然性言明(B言明): わたしには生まれてこないという…

充足理由律と根拠の不在

「わたしには、生まれてこないということもありえたのだろうか。」この問いに対して、出来事の偶然性を信じる人は、次のように答えることでしょう。 わたしの誕生に関する偶然性言明: わたしには、生まれてくることも生まれてこないこともありえた。 ところ…

一夫一婦制をめぐる考察、あるいは様相の哲学史

必然性、あるいは偶然性への信仰がもたらす倫理的帰結について、夫婦愛を例にとって、もう少し考えてみることにします。 必然性、すなわち運命のめぐり合わせを信ずるかぎり、人間はおそらく、厳粛なる一夫一婦制的価値観を離れることがありません。わたしに…

Sorry,Barbara……

わたしは今のところバーバラへの忠実(前回の記事参照)を守り通せていますが、運命への信頼がひとたびぐらついてしまうとなれば、その安全も危うくなってしまうかもしれません。 「わたし、あなたのことが好きなの。あなたにはバーバラがいるって分かってる…

Sorry,Ema……

わたしの誕生というテーマには後にまた立ち戻ることにして、ここで次のような問いを発しておくことにします。 「偶然性にもとづく倫理というものが、はたして本当に存在するのだろうか。」 話をわかりやすくするために、別のたとえ話を考えてみることにしま…

偶然は誤解され続けるであろう

⑶ 誕生サイコロについて最後に注意しておきたいのは、原初の偶然は、生者たちによってたえずあたかも何らかの必然であったかのように解釈されつづけるであろう、ということです。 もしもここで問題になっているおとぎ話が真実であったとすれば、わたしには、…

反出生主義と哲学のまなざし

⑵ 誕生サイコロで奇数の目が出ることは、大抵の人にとってはこれ以上ないくらいの幸運であるといえますが、そうではない人たちもいます。反出生主義者と呼ばれる人たちがそれです。 「わたしはこの世に生まれてくるべきではなかった」と思っている人たちとし…

「われわれは幸運だった」

誕生サイコロの思考実験、あるいはおとぎ話(詳細は前回の記事を参照)から、いくつかの教訓を引き出してみることにします。 ⑴ もしも、私たちが本当に宇宙形成前のサイコロの一振りで生まれてくることになっていたのだとしたら、私たちはとりあえず、出発点…

カエサルのサイコロ

問題について考えはじめるために、まずは次の点を確認しておくことにします。 「出生の与えはわたしにとって、遡行不可能で一方向的な出来事である。」 よく言われるように、人間は、自分が生まれてきたいから生まれてきたというわけではありません。わたし…

わたしの誕生をめぐる冒険

これからしばらくの間、久しぶりに、前と同じ丁寧語文体で書いてみることにします。哲学の少し込み入った議論をするためには、こちらの方が都合がよいのではないかと思われるので……。ちなみに、筆者自身は一切の冗談を受けつけない生真面目な性格のせいか、…