イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

生きることの重荷と、「幸福」なるものの探求:「負い目ある存在」の分析へ

今回の記事から、良心の現象をめぐる分析は新しい領域へと踏み込んでゆくことになる。まずは、次の問いを立てるところから探求を開始してみることにしたい。 問い: 「良心の呼び声」は私たち人間存在に対して、一体何を告げ、理解させるのだろうか? 私たち…

「外に出てゆかず、きみ自身のうちに帰れ」:「良心の呼び声」に関する、これまでの分析の総括

今回の記事では、「良心の呼び声」の性格を見定めるというこれまでの作業を総括する意味で、「良心とは気づかいの呼び声である」という『存在と時間』第57節のテーゼを検討しておくこととしたい。 「現存在が呼ぶ者であり、同時に呼ばれる者であるとする命題…

「誰にでもできそうで、誰にもできないことを」:マザー・テレサが、ロンドンの通りすがりの男性にしたこと

「良心の呼び声」を聞くことは人間に、どのような変容をもたらすのだろうか。この点について考えてみるために、前回に引き続いて、マザー・テレサの言葉に耳を傾けてみることとしたい。 「私はあの時のことを、絶対に忘れることはないでしょう。ある日ロンド…

祈るという行為の実存論的な意味について:「良心の呼び声」との関連で考える

「良心の呼び声」は現存在であるわたしの思惑を超えるところから、わたしに降りかかってくる。私たちはこの事態についてすでに考察を重ねてきたが、この論点については『存在と時間』の読み幅を拡げるという意味でも、一つの問題提起を行っておくこととした…

「『呼び声』を聞いてしまったら、元に戻ることはできない」:生の本質について考える

呼び声の性格を見定める作業から導かれてくる帰結を引き出すという試みも、そろそろ大詰めを迎えつつある。前回に見た「『それ』が呼ぶ」に続く箇所を引用しつつ、考えてみることにしよう。 「『それ』が呼ぶ。期待に反して、否むしろ意志に反してすら呼ぶ。…

「事象そのものへ!」:『存在と時間』のテーゼ「『それ』が呼ぶ」の分析を通して、哲学することへの衝動の本質を見定める

良心の呼び声の性格をより根源的な仕方で捉えるために、私たちは、ハイデッガーの「『それ』が呼ぶ」という定式に着目してみることにしたい。 「呼び声はそれどころか、私たち自身によって計画されるものではまったくない。準備されるものでも、随意に遂行さ…

「わたし自身が、わたしにとって謎となる経験」:実存論的分析のテーゼ「呼び声は通り過ぎる」を検討する

良心の呼び声についての考察を深めるために、「呼び声は通り過ぎる」とハイデッガーが語っている事態について、掘り下げて考えてみることにしたい。 「現存在は、他者たちとじぶん自身にとって現存在として世間的には理解されている。そのような現存在が、こ…

「人間存在は果たして、何に耳を傾けるべきか?」:『存在と時間』が提起する根本問題について

今回は少し立ち止まって、次の問題についてじっくりと考えてみることにしたい。 問題提起: 「聞く」ことをめぐる『存在と時間』の議論は2022年の現在を生きている私たちに対して、私たち自身の生のあり方に関わる非常に重要な問いを投げかけていると言える…

日常の風景が、「問いかけ」の場面へと変わるとき:『存在と時間』第55節が描き出す情景

「呼び声」の分析を進めてゆくために、ハイデッガーの以下の言葉を取り上げつつ、「聞く」ことの可能性について考えてみることとしたい。 「〈ひと〉の公共性やその空談へとみずからを喪失しながら、現存在は、〈ひとである自己〉の言うことを聞くことにあっ…

「彼方から彼方へと呼び声がする」:呼び声に耳を澄ますという、実存論的分析の課題について

「良心の呼び声」の現象に本格的に取り組んでゆくにあたって、まずは、この分析が向かって行く方向を前もって見定めておくことにしたい。 論点: 「良心の呼び声」に関する実存論的分析は、「内なる呼び声に耳を澄ますこと」とでも言うべき態度を通して遂行…

「ダイモーンの呼び声」:ソクラテスのケースから出発して、私たちの日常的な経験について考える

「呼び声としての良心」という主題について考えるにあたっては、私たちはやはり、まずはよく知られた先人の例から出発してみるのがよいだろう。プラトンの『ソクラテスの弁明』において、ソクラテスは次のように語っている。少し長くなってしまうが、引用し…

「深淵のただ中において、あなた自身であれ!」:議論の出発点「良心は開示する」

ハイデッガー自身の言葉を取り上げるところから、良心をめぐる分析に入ってゆくこととしたい。 「良心の分析は、その出発点として、良心という現象にかんする中立的な所見を採用する。すなわち、良心はなんらかの様式で、だれかになにごとかを理解するように…

「本来的なわたし」なるものが、果たして本当に存在するのか?:「良心の呼び声」の分析へ

『存在と時間』読解は、今回の記事から「良心の呼び声」の分析に入ることとしたい。これまでの議論に対する次のような疑問を提起してみることを通して、本格的な分析に入ってゆく上での導入を試みてみることにしよう。 これまでの『存在と時間』の議論に対す…

「今日も明日も、やり続けてみよう」:デカルト哲学における「高邁」の情念について

自己を掴み取るとはいかなることであるのかを探るために、もう一人、近代の哲学者の言葉に耳を傾けておくこととしたい。デカルトは『省察』の第三部の冒頭において、「重視」や「軽視」の情念について語り始めたのち、次のように言っている。 「そして、知恵…

「それは世にも美しい、驚嘆すべき像であった……。」:『饗宴』において、アルキビアデスはソクラテスという人物のうちに、何を見たのか

自己であること、一人の人間が、本当の意味で「わたし自身」と言えるような一貫性を持つとは、どのようなことなのだろうか。この点を探るために、今回の記事では、プラトン『饗宴』の最終部分に位置する、アルキビアデスによるソクラテス賛美の箇所について…

選択と決断:現存在であるところの人間が、「わたしは、わたし自身の生を生きている」と言うことのできる根拠とは何か

さて、私たちは読解を進めてゆくにあたって、なぜハイデッガーが『存在と時間』において「良心の呼び声」なるテーマについて論じたのか、その必然性を理解すべく試みてみることとしたい。その上で押さえておく必要があるのは、以下のような論点なのではない…

「存在論の歴史の破壊」:『存在と時間』の出現と共に、人々は、時空感覚が歪むのを感じた

1927年に出版された『存在と時間』が当時の人々にもたらした衝撃の内実とは一体、どのようなものだったのだろうか。この点についての理解を深めるために、今回の記事では、以下の論点について掘り下げておくこととしたい。 論点: 『存在と時間』の序論部分…

人はいかにして本来のおのれになるか:1927年、マルティン・ハイデッガーがくぐり抜けた「大勝負」について

「自己」の問題にアプローチするための助走の意味も兼ねて、1927年の『存在と時間』出版が著者のハイデッガー自身にとってどのような意味を持つ出来事であったかという点について、改めて考えておくこととしたい。後年のハンナ・アーレントはこの本が収めた…

「事象へ現に到達している男」、あるいは、「発狂したアリストテレス」:思索するという行為は、いかなることを意味するか

『存在と時間』出版以前のハイデッガーをめぐる状況について、もう少し掘り下げておくことにしたい。まずは、引き続きアーレントの回想の言葉に耳を傾けつつ、当時の状況の方へと遡ってみることにしよう。 「第一次世界大戦後の当時、ドイツの大学には叛乱こ…

「哲学の隠れた王」:ハンナ・アーレントの証言を通して、『存在と時間』出版以前のハイデッガーの状況を探る

「良心の呼び声」の分析へと向かう準備作業として、『存在と時間』が出版される1927年以前の状況に遡った上で、この本が哲学の歴史において持つ意味について、改めて考えてみることにしたい。 論点: 20世紀の哲学の歴史の流れを決定づけた書物である『存在…

「精神の革命」は決して、終わることがない:『ソクラテスの弁明』について、論じ終えるにあたって

死刑の判決が下されたのち、『弁明』のソクラテスは、これからアテナイで起こるであろう出来事について、一つの「予言」をすると言い始める。少し長くなってしまうが、その箇所を引用しつつ、検討してみることとしたい。 「諸君よ、諸君はわたしの死を決定し…

ソクラテスの「最も固有な存在可能」は、同胞たちに対しても差し向けられている:『弁明』における、「馬とあぶ」の喩えを通して考える

ソクラテスの言葉を通して、哲学する人間の実存のあり方について、もう少し掘り下げてみることにしよう。プラトンの『ソクラテスの弁明』において、彼はこう言っている。 「どうか騒がないでいてください、アテーナイ人諸君。どうぞ、わたしが諸君にお願いし…

「精神の革命」は「気づかいの向け変え」として企てられる:『ソクラテスの弁明』における問題の核心

私たちは『存在と時間』における「死への先駆」につての議論を終えたが、この主題に関連して、一人の思索者の生きざまに関する省察を深めておくこととしたい。まずは、次の言葉を取り上げるところから始めてみることにしよう。 「世にもすぐれた人よ、君はア…

「実存」の概念をめぐる探求が辿り着いた、比類のない自由:「先駆」に関する議論を締めくくるにあたって

「死への先駆」をめぐる議論に決着をつける時が、ようやくやって来たようである。少し長くなってしまうが、最初に、ハイデッガー自身が探求を総括している部分を引用しておくこととしたい。 「実存論的に投企された、死へとかかわる本来的な存在の性格づけは…

「不安」こそが、実存のリアルを開示する:Sein zum Todeにおける真実の問題

「死への先駆」の概念の掘り下げも、そろそろ大詰めを迎えつつあるようである。ハイデッガーが垣間見ていた「実存の本来性」の深みへと潜ってゆくことを目指して、仕上げの作業に取り組むこととしたい。 論点: 「死への先駆」は、人間存在を脅かしている深…

リアルな人間として生き始めること:「世界内存在」の概念をめぐって

前回の記事で取り上げた一節をもう一度引用しつつ、そこに含まれている「世界内存在を確実なものとする」という表現について、掘り下げて考えてみることにしたい。 「死を真とみなして保持することー死はそのつどじぶんに固有な死であるーは、世界内部的に出…

「先駆」は存在論の次元を要求する:1927年の『存在と時間』出版は、なぜそれほどまでに衝撃的であったか

私たちは『存在と時間』が問題としている根本事象の方へと、次第に近づきつつある。ハイデッガーの次の一節を読みつつ、「死への先駆」の概念を仕上げるという課題に取り組んでゆくこととしたい。 「死を真とみなして保持することー死はそのつどじぶんに固有…

『パイドロス』が語っていること:プラトンのテクストにおける「本来的な仕方で実存すること」の契機について

私たちは、「先駆すること」の契機のうちに含まれる「時間性」の問題について、すでに見てきた。『存在と時間』の議論の方へと本格的な仕方で戻ってゆく前に、今回はこの論点を深めておくためにもう一人、別の哲学者のテクストを見ておくことにしたい。 「ち…

「実存的なあり方の第一次的な意味は将来なのである」:『存在と時間』の時間論、あるいは、20世紀哲学における「未来時の持つ根源的な力能の次元の発見」について

パスカルの「賭け」に関する議論については、私たちはすでにその行程をたどり終えた。今や、そこで獲得された成果から、『存在と時間』における議論の核心部の方へと歩みを向け直すべき時である。 論点: 20世紀の思索が向かう方向を決定づけた書物である『…

「この賭けには、勝つという以外の結果はありえない」:ブレーズ・パスカルは「実存することの奥義」について、何を語っているのか

『パンセ』断片233をめぐる私たちの検討も、終わりに近づきつつある。パスカルが「賭けの奥義」とでも呼びうるようなモメントについて語っている箇所を引用しつつ、「実存は賭けである」を存在論的なテーゼとして仕上げるべく試みてみることとしたい。 「以…