イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

2015-07-01から1ヶ月間の記事一覧

核戦略問題へのイントロダクション   ー9条のディープ・フェーズへ

今回の話題に入ってゆくにあたって、ひとつのエピソードを紹介させてください。 1972年5月3日、竹本忠雄という日本人が、パリからそれほど遠くない、ヴィルモラン家所有のヴェリエールの館を訪れました。ヴィルモラン家といえば、ほぼ200年ちかくにわたって…

それにしても、この呼びかけはどこから

3 アノマリーの特異性を解放する ー??? しかし、第三の道もあるように思います。9条はこれまで長い時間をかけて、みずからの特異性を解放するモメントを、時を追うごとに少しずつ失いつづけてきました。けれども、ここで、次のような問いを立ててみるこ…

いま起こっていることと、これからの選択肢   ー9条の将来について考える

絶対平和を要求する憲法9条は、国家理性の側からするならば、ほとんど理解不可能なアノマリーとして存在している。言うまでもなく、国家理性はみずからの生き残りに深くかかわってくる軍事の領域を、けっして無視することができません。その領域の中にこの…

国家理性と、絶対平和のアノマリー

国家理性という語は私たちのうちの多くの人にはなじみの薄いものかもしれませんが、それにたいして、国益という言葉のほうは広く用いられています。実は、この言葉はもともと、ヨーロッパの言語において、国家理性という語と同一のものでした。他のどんなフ…

マキャヴェリズムから国家理性へ   ー私たちの国家の系譜をたどる

私たちはまず、9条の条文を簡潔に眺めてみたあとで、その文言の解釈がたどってきた歴史と、これまでの自衛隊の活動の歴史の流れを検討してみました。そこから見えてきたのは、9条のなかにもともと宿っていたイデーが、ほとんどその当初から現実にたいする…

自衛隊のこれからについて考える

グローバル安全保障システムは、世界各国の軍隊の働きによって保たれています。ところが、このシステムのうちに、軍隊ではない軍隊としての自衛隊が加わってゆくときには、9条との関連において、必ずどこかでさまざまな歪みが生じてこざるをえません。私た…

9条と現実がぶつかり合う瞬間   ーカンボジアPKOのケース

1990年代からの自衛隊は、「グローバル安全保障システム」とでも呼びうるような秩序のうちに加わってゆくことになりましたが、ここには、ある原理的な困難がつきまとっていました。それは、武力行使を行うことができない自衛隊員たちには、このシステムの働…

世界史のなかの自衛隊

私たちは前回、9条との関係において自衛隊がどう解釈されてきたのかを見ました。「自衛隊は戦力ではなく、わが国の実力なのである。」それでは、この「実力」はこれまで、一体どのような歴史をたどってきたのでしょうか。ここでは、自由民主党の石破茂氏が…

実際のところ、どう解釈されてきたのか?   ー9条と自衛隊

「憲法からは外れているみたいだけれど、自衛隊って、とりあえずできちゃったんでしょう」。私たちはみなそのことについて、多かれ少なかれ知っています。それでは、私たちの国の政府はこの自衛隊なるものを、日本国憲法第9条2項との関係において、いった…

ワンフレーズで憲法を変える   ー9条2項と芦田修正

1946年の3月には、国民たちはすでに日本国憲法の大まかなプランを知らされており、新しい憲法にむけての期待を高めていました。そののち正式に提出された憲法案は、明治憲法のもとでの選挙によって選ばれた議員たちによる衆議院の審議において、検討される…

戦力をまったく持たないはずの国   ー9条の条文を読んでみる

まずは、9条の条文を見てみることにしましょう。この条文は、二項に分かれています。 ① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを…

憲法第9条へのイントロダクション

① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 ② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国…

今後のブログの方針について

これは、さすがにまずいかもしれない。日本国憲法について記事を書きはじめてからというもの、ほとんど一日中、憲法に取りつかれるようになってしまいました。昨日、夕立ちの情景を描写している美しい文章を読んで、「そういえば、雨上がりの夕焼けというも…

死者たちのことを悼みながら、決意した人びと   ー憲法についての考察のおわりに

これまでのシリーズのなかでは、日本国憲法の今のすがたと未来のすがたに、焦点を当ててきました。けれども、憲法の問題を考えるさいには、本当は何よりもまず、過去にこそ目を向けなければならないところでした。遅くなってしまいましたが、最後にその点に…

日常を愛する人たちが、考えはじめるとき   ー日本国憲法と私たち

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって・・・ 日本国憲法前文 「日本国民は、みずからが掲げた崇高な理想を深く自覚する。そして、国際社会のなかで名誉ある地位を占めたいと思う。」私たちがこのシ…

「私たち」という言葉を取りもどすために   ー未来の共生にむけて

今日は、パブリックな言論をめぐる現在の状況を確認したうえで、この国の未来について考えてみることにしたいと思います。私たちは前回、これまでの憲法学におけるスタンダードであったマグナ・カルタ的憲法観にたいして、ヘーゲル的憲法観というパースペク…

新しい国づくりへの提言    ーヘーゲル的憲法観が私たちの意識を変える

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。 日本国憲法前文 「個人を…

1215年、中世のロンドン ー憲法の源流へ

廷吏はこののち、自らの主張のみに基づいて、この目的のために召喚される信頼のおける証人なしには、何ものをも裁判にかけてはならない。 マグナ・カルタ第38条 今日は視野を世界にまで広げて、私たちの日本国憲法の源流のひとつをさぐってみることにしまし…

「侵すことのできない永久の権利」   ーマグナ・カルタ的憲法観について

国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保証する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。 日本国憲法第11条 私たちは、憲法89条後段が提起している問題について検討を加えてみまし…

憲法について、あまり知られていない話   ー89条後段をめぐって(2)

公金その他の公の財産は、公の支配に属しない慈善もしくは博愛の事業に対し、これを支出し、またはその利用に供してはならない。 日本国憲法第89条(目下の文脈に応じて一部を削除) 当初の解釈: 国のお金は、民間団体がおこなう福祉事業に使ってはいけない…

憲法について、あまり知られていない話   ー89条後段をめぐって(1)

公金その他の公の財産は、宗教上の組織もしくは団体の使用、便益もしくは維持のため、または公の支配に属しない慈善、教育もしくは博愛の事業に対し、これを支出し、またはその利用に供してはならない。 日本国憲法第89条 まずは、日本国憲法をめぐる現在の…

「われらとわれらの子孫のために」   ー日本国憲法について考える

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し…

わたしの欲望がこの世を超えるとき

今はゆかむ さらばと云ひし夜の神の 御裾さはりて わが髪ぬれぬ 与謝野晶子 神は、わたしのもとにやって来る。プリミティブな神学的思考が『みだれ髪』の世界のうちにも突如としてよみがえっているのを、私たちは見いだします。「わたしのもとを訪れるあの人…

神の問題へ

その子二十 櫛にながるる黒髪の おごりの春の うつくしきかな 与謝野晶子 欲望されることを欲望する。とくに、性的な意味をおびた身体を他者から求められることを欲望する。こういう欲望に取り憑かれてしまった人は、まわりの人びとを惹きつけずにはいない見…

与謝野晶子と、欲望される身体

細きわがうなじにあまる 御手のべて ささへたまへな 帰る夜の神 与謝野晶子 昨日は和泉式部の和歌を取りあげたので、私たちの時代に近いところから、もう一人だけ論じてみることにしてみたいと思います。明治の初めに生まれた歌人である与謝野晶子もまた、恋…

和泉式部、エロティシズムがスピリチュアリティーに変わるとき

ものおもへば 沢の蛍もわが身より あくがれいづる魂かとぞみる 和泉式部 今日から七月です。夏がこれから本格的に始まろうとしていますが、平安時代の貴族たちは、言葉のうちで涼しさを感じとるということのうちに、喜びを見いだしてやまない人びとでした。…