イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

2021-01-01から1ヶ月間の記事一覧

日常生活の一場面の例

論点: 私たちの日常生活は、他者の言葉を信じることによって成り立っている。 具体的な場面を思い描いてみることにしよう。マンションに住んでいるある男性が、朝の身じたくを済ませて、仕事に出かけようとしている。男性がドアに手をかけようとした時、彼…

信じることの問題圏へ

考察を続けよう。 論点: 聞くという行為は、語っている相手の語ることを信じるという契機によって可能になるのではないだろうか。 1月の考察においては、聞くことは語ることに対して事実的にも原理的にも先行していること、また、超絶に関わる人間の本来性…

一月の振り返り

今回は内容の区切り上、少し早めにはなるが、一月の振り返りをしておくことにしたい。次回からは、また目下の問題の解明に戻る予定である。 一月は言語活動の本質を求めて、超脱のエレメントとしての言語という言語観にたどり着きつつ、「語ることに対する聞…

聞くことの取り戻しとしての、実存の本来性

論点: 超絶へと向かう人間の実存の本来性は、聞くことの取り戻しとして遂行されるのではないか。 頽落の状態、すなわち、平均的な日常性のうちにある人間は、他者の言葉に耳を傾けることを怠っている。それというのも、他者の言葉を受け入れるとは教えを受…

思考と超絶

論点: 思考することは、わたしを超絶する他者からの働きかけによって可能になるのではないか。 頽落の状態、すなわち、さしあたり大抵の状態のうちにある人間は、他者からの言葉にほとんど耳を傾けることなく、ただ延々と自分の方から語り続けるのみである…

事実的な過去と、思考の生起について

論点: 語ることに対する聞くことの先行性は、事実的な過去とでも呼ぶべき時間性の構造と共に理解する必要がある。 認識の主体であるわたしの語る言葉の一つ一つ、その意味と音の響きの一つ一つが、わたしがこれまでに耳を傾け続けてきた他者たちの無数の言…

伝統的人間観の再検討という課題

論点: 事実的なものの領域を哲学的思考によって捉えるためには、思惟の繊細さが求められる。 聞くことは、語ることに対して事実的にも原理的にも先立っている。哲学がこれまでこの事柄に注意して目を向けることがほとんどなかったことの背景には、まず間違…

超越論哲学を問いなおす

論点: 哲学の営みはこれまで、事実的なものの領域をそれとして思考することを取り逃がし続けてきたのではないだろうか。 「聞くことは、事実的にも原理的にも語ることに先立っている。」このような主張を哲学の内部において検討することが難しい理由は、一…

「私たちが、言葉をまだ知らなかったとき……。」

論点: 語ることには、聞くことが事実的にもにも原理的にも先立っているのではないだろうか。 私たちはほとんどの場合、自分自身で生み出すよりも、他者から聞くことで新しい言葉を学ぶ。その新しい語は、学んでしまった後にはわたしにとって透明な、理解す…

超絶と隠れ

論点: 他者の言葉の不可解性を閑却するならば、他者は、認識の主体であるわたしの元から引き退いてゆくであろう。 これは、哲学においても実人生においても非常に重要な論点なのではないかと思う。そして、この論点はまた、存在の超絶という理念に関して無…

頽落としての不可解性の閑却

論点: 他者の言葉が帯びている謎としての性格は通常の場合、忘れ去られ、閑却されている。 他者の言葉の理解しがたさを、不可解性と呼ぶことにしよう。他者の存在が認識の主体であるわたしを超絶している限り、不可解性は原理的に言って、あらゆる他者のた…

謎としての言葉、「相手の真意」

論点: 適切な注意を向ける際には、他者の言葉は透明さには属することのない謎として立ち現れてくる。 物事を事象そのものに即して丁寧に考えることは、哲学においては欠かすことのできない作業である。語ることと聞くこと、自己の言葉と他者の言葉の違いに…

超脱における知の照らし、あるいは、聞くことと語ることの間の非対称性について

論点: 他者の言葉を聞くことは、孤絶しているはずの自己が他者の知によって照らされる経験であると言えるのではないか。 「自己のうちにとどまり続けながら自己の外へと出てゆくこと」としての超脱の契機について、もう少し考えてみることにしよう。 ①超脱…

超脱のエレメントとしての言語

論点: 他者であるあなたがあなた自身について語るという経験のうちで、超脱のエレメントとしての言語の本性が示される。 他者であるあなたの「わたしはある」は、わたしには直接には決して知りえない(他者の超絶)。あなたが言葉を語るとは、到達しえない…

内面性の圏域から、言葉の経験へ

予備的な考察から、探求を再開することにしよう。 論点: 言葉が言葉となる本源的な瞬間とは、言葉が、他者であるあなた自身の姿を顕にする瞬間にほかならないのではないか。 他者であるあなたはわたしと同じように、実存する人間として、この世界のうちで生…