イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

2022-06-01から1ヶ月間の記事一覧

叱責する良心、あるいは、「重荷」から解放されるという可能性:アウグスティヌス『告白』の場面を通して考える

ハイデッガーの言う「負い目ある存在」を直観的に理解するために、今回は一つの具体的なケースを見てみることにしたい。アウグスティヌスの『告白』第八巻第七章における次のような場面を元に考えてみることにしよう。 「さて、わたしはこの世の希望を捨てて…

生きることの重荷と、「幸福」なるものの探求:「負い目ある存在」の分析へ

今回の記事から、良心の現象をめぐる分析は新しい領域へと踏み込んでゆくことになる。まずは、次の問いを立てるところから探求を開始してみることにしたい。 問い: 「良心の呼び声」は私たち人間存在に対して、一体何を告げ、理解させるのだろうか? 私たち…

「外に出てゆかず、きみ自身のうちに帰れ」:「良心の呼び声」に関する、これまでの分析の総括

今回の記事では、「良心の呼び声」の性格を見定めるというこれまでの作業を総括する意味で、「良心とは気づかいの呼び声である」という『存在と時間』第57節のテーゼを検討しておくこととしたい。 「現存在が呼ぶ者であり、同時に呼ばれる者であるとする命題…

「誰にでもできそうで、誰にもできないことを」:マザー・テレサが、ロンドンの通りすがりの男性にしたこと

「良心の呼び声」を聞くことは人間に、どのような変容をもたらすのだろうか。この点について考えてみるために、前回に引き続いて、マザー・テレサの言葉に耳を傾けてみることとしたい。 「私はあの時のことを、絶対に忘れることはないでしょう。ある日ロンド…

祈るという行為の実存論的な意味について:「良心の呼び声」との関連で考える

「良心の呼び声」は現存在であるわたしの思惑を超えるところから、わたしに降りかかってくる。私たちはこの事態についてすでに考察を重ねてきたが、この論点については『存在と時間』の読み幅を拡げるという意味でも、一つの問題提起を行っておくこととした…