2021-09-01から1ヶ月間の記事一覧
日常性におけるわたしはそれと気づかないうちに、〈ひと〉の支配に身を任せてしまっている。このことから、わたしは、わたし自身が生きているこの世界に対して、ある特異なあり方で存在しているということが帰結せざるをえないのではないか。 わたしは日常に…
現存在、すなわち人間であるところのわたしには、次の二つの実存の可能性が与えられている。 ① わたしは、さしあたり大抵は〈ひと〉として、平均的なあり方を気づかうことのうちで実存している。わたしは〈ひと〉が楽しむように物事を楽しみ、〈ひと〉が注目…
私たちは〈ひと〉のあり方を特徴づける現象である、「空談」「好奇心」「曖昧さ」について見てきた。この〈ひと〉なる主題についてさらに掘り下げてゆくにあたって、次のような疑問について考えておくことにしたい。 問い: 2021年を生きている私たちにとっ…
「曖昧さ」について論じている『存在と時間』第37節にハイデッガーは、非常に印象深い一節を書きつけている。その箇所を、ここに引用してみる。 「ほんとうにあらたに創造されたものが、その積極的な可能性において自由になるのは、覆いかくす空談が効力を失…
「空談」「好奇心」についで〈ひと〉のあり方を示すのは、「曖昧さ」の現象である。今回も、この現象の原理的な構造を見わたすことに重点を置きつつ考えてみることにしよう。 いま、ある存在者Aについて、「AはBである」という発見がなされたものとしよう。…
「空談」に続いて、〈ひと〉のあり方を示す現象である「好奇心」の内実を探ってみることにしよう。この現象についても、すでに見た真理論の裏面として事柄を見わたすという観点が、非常に重要である。 さて、現存在(=人間)であるところのわたしが今、仕事…
空談なるものが一度広がってしまうと、もはやそれを押しとどめることはできない。ハイデッガー自身の言葉を引いてみる。 「語られているものそのものは、よりひろい圏内へと拡散し、権威的な性格を帯びることになる。ひとがそう言うからにはそうなのだ、とい…
ハイデッガーによれば、〈ひと〉が語り合う言葉のやり取りは、「空談」というあり方によって特徴づけられている。空談とはどのような言葉のあり方をいうのか、原理的なところにまで遡って考えてみることにしよう。 いま、Aという存在者について、「AはBであ…
日常性における人間の実存は〈ひと〉によって引き受けられ、〈ひと〉によって支配されているのではないだろうか。これからこの問題を問い進めてゆくにあたって、最初に一つの論点を確認しておくこととしたい。 論点: 『存在と時間』においては、〈ひと〉、…
『存在と時間』読解の後半を進めてゆくにあたって、先に、後半戦の根本主題を確認しておくことにしよう。 後半戦の根本主題: 現存在であるところの人間は、いかにして実存の本来性にたどり着くことができるのか? 注意しておくべきは、この根本主題が奥底の…
「現存在であるところの人間は、真理のうちで存在している。」真理論の中核をなすこのテーゼに対して、次のような問いを投げかけるところから、読解の後半戦を始めることにしよう。 問い: 人間は、本当に「真理のうちで存在している」と言えるのだろうか? …
私たちは前回の記事までで、『存在と時間』読解の前半戦を戦い終えた。今回の記事では読解全体のプランについて一点補足しつつ、これまでの歩みを振り返っておくこととしたい。 今回の読解では第44節までを前半戦、それより後を後半戦としている論ずるという…
開示する、すなわち、覆いをとって発見する現存在(人間)こそが、根源的な意味で「真」である。このように思考の歩みを進めるとき、一つの問いが立てられる。 問い: これまでの実存論的分析は、現存在であるところの人間を自分自身に対して、十全な仕方で…