イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

2022-03-01から1ヶ月間の記事一覧

選択と決断:現存在であるところの人間が、「わたしは、わたし自身の生を生きている」と言うことのできる根拠とは何か

さて、私たちは読解を進めてゆくにあたって、なぜハイデッガーが『存在と時間』において「良心の呼び声」なるテーマについて論じたのか、その必然性を理解すべく試みてみることとしたい。その上で押さえておく必要があるのは、以下のような論点なのではない…

「存在論の歴史の破壊」:『存在と時間』の出現と共に、人々は、時空感覚が歪むのを感じた

1927年に出版された『存在と時間』が当時の人々にもたらした衝撃の内実とは一体、どのようなものだったのだろうか。この点についての理解を深めるために、今回の記事では、以下の論点について掘り下げておくこととしたい。 論点: 『存在と時間』の序論部分…

人はいかにして本来のおのれになるか:1927年、マルティン・ハイデッガーがくぐり抜けた「大勝負」について

「自己」の問題にアプローチするための助走の意味も兼ねて、1927年の『存在と時間』出版が著者のハイデッガー自身にとってどのような意味を持つ出来事であったかという点について、改めて考えておくこととしたい。後年のハンナ・アーレントはこの本が収めた…

「事象へ現に到達している男」、あるいは、「発狂したアリストテレス」:思索するという行為は、いかなることを意味するか

『存在と時間』出版以前のハイデッガーをめぐる状況について、もう少し掘り下げておくことにしたい。まずは、引き続きアーレントの回想の言葉に耳を傾けつつ、当時の状況の方へと遡ってみることにしよう。 「第一次世界大戦後の当時、ドイツの大学には叛乱こ…

「哲学の隠れた王」:ハンナ・アーレントの証言を通して、『存在と時間』出版以前のハイデッガーの状況を探る

「良心の呼び声」の分析へと向かう準備作業として、『存在と時間』が出版される1927年以前の状況に遡った上で、この本が哲学の歴史において持つ意味について、改めて考えてみることにしたい。 論点: 20世紀の哲学の歴史の流れを決定づけた書物である『存在…

「精神の革命」は決して、終わることがない:『ソクラテスの弁明』について、論じ終えるにあたって

死刑の判決が下されたのち、『弁明』のソクラテスは、これからアテナイで起こるであろう出来事について、一つの「予言」をすると言い始める。少し長くなってしまうが、その箇所を引用しつつ、検討してみることとしたい。 「諸君よ、諸君はわたしの死を決定し…

ソクラテスの「最も固有な存在可能」は、同胞たちに対しても差し向けられている:『弁明』における、「馬とあぶ」の喩えを通して考える

ソクラテスの言葉を通して、哲学する人間の実存のあり方について、もう少し掘り下げてみることにしよう。プラトンの『ソクラテスの弁明』において、彼はこう言っている。 「どうか騒がないでいてください、アテーナイ人諸君。どうぞ、わたしが諸君にお願いし…

「精神の革命」は「気づかいの向け変え」として企てられる:『ソクラテスの弁明』における問題の核心

私たちは『存在と時間』における「死への先駆」につての議論を終えたが、この主題に関連して、一人の思索者の生きざまに関する省察を深めておくこととしたい。まずは、次の言葉を取り上げるところから始めてみることにしよう。 「世にもすぐれた人よ、君はア…

「実存」の概念をめぐる探求が辿り着いた、比類のない自由:「先駆」に関する議論を締めくくるにあたって

「死への先駆」をめぐる議論に決着をつける時が、ようやくやって来たようである。少し長くなってしまうが、最初に、ハイデッガー自身が探求を総括している部分を引用しておくこととしたい。 「実存論的に投企された、死へとかかわる本来的な存在の性格づけは…