イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

見知らぬ他者をめぐる倫理

開かれそれ自体を思考すること

前回までで取り上げたかったトピックはとりあえず一通り扱いましたが、終わりに次の点を確認しておくことにします。 「想像を超えて現実のうちに足を踏み入れた時に、本当の意味での倫理がはじまる。」 見知らぬ他者の苦しみについて想像することは、おそら…

脱中心化の線

私たちの探求は、倫理上の問題が存在の問いと重なる地点に至りました。 「倫理は、脱-現前の運動を人間に要求する。」 その場にいること、現れていること、そして、そのようなものとして知られていること。「見知らぬ他者がどこかで苦しんでいるのではないか…

現前に抗すること

考察を進めるために、ここでは近世の哲学者であるウィリアム・バークリーの命題を手がかりとして取り上げてみることにします。 「存在するとは、知覚されることである。 Esse est percipi.」 ウィリアム・バークリー この命題はバークリーのみならず、カン…

いなくなってしまった人たち

サバイバーズギルト、すなわち、生きつづけていることへの罪悪感に関連して取り上げておきたいトピックがあります。 「私たちは、いなくなってしまった人たちのことを忘れながら生きている。」 学校や職場、その他さまざまな社会空間のうちで、そのメンバー…

サバイバーズギルトについて

前回に論じた、見知らぬ他者の苦しみをめぐる原理的なアポリアは、ある根源的な感情をめぐる問題につながっているのではないか。 「私たちは、罪悪感なしに生きてゆくことが可能だろうか。」 ここでは、サバイバーズギルトという概念を導入したいと思います…

原理的なアポリア

この辺りで、倫理をめぐる原理的なアポリアに目を向けておいた方がよいかもしれません。 「倫理は、不可能にも見える贈与を行うことを人間に求める。」 これまで、見知らぬ他者の苦しみに対して何ができるのかという方向で探求を進めてきましたが、この方向…

幸福であることの残酷さ

本題に戻ります。 「たとえ、見知らぬ他者の苦しみがわたしには全く関係のないものであっても、わたしはその他者にできることをした方がよいのではないか。」 すでに論じたように、わたし(私たち)が自分でも知らないうちに他者を傷つけている可能性はある…

「倫理的なエゴイスト」

ここで少し話題はそれますが、次の点について論じておくことにしたいと思います。 「現代の人間は、倫理的なエゴイストとして生きるという可能性にさらされているのではないか。」 倫理的なエゴイストという言葉で、ここでは、何が正しいかを知ってはいても…

血は慎重に隠される

前回の論点をもう少し補足しておくことにします。 「暴力は、見えないところで振るわれる。」 前回に挙げた例でいうならば、近世ヨーロッパの人びとは、自分たちが急速に獲得しつつある豊かさが、黒人奴隷をはじめとする多数の見えない他者たちの犠牲の上に…

歴史が私たちに語ること

それにしても、苦しんでいる見知らぬ他者を助けたほうがよい理由とは何だろうか。その根拠はさまざまに考えられますが、まずは次の点を挙げることができるかと思います。 「その他者は、私たちのことが原因で苦しんでいるかもしれない。」 たとえば、精神の…

渇望の二択と倫理の二択

ここでは、二択の状況を二組提示することで議論を整理してみることにします。 渇望をめぐる二択: 1.わたしは、他者を求める。 2.わたしは、他者を求めない。 この二択のうちのどちらを選ぶかは、それぞれの主体の自由に任されています。たとえば、筆者自…

スピノザ主義を問いなおす

今回の探求で検討したいのは、次のような言明に他なりません。 コナトゥスの自己表明: わたしは、わたしに生まれてよかった。 この家族に生まれてよかった。 この国に生まれてよかった。 まず最初に確認しておきたいのは、こうした言明のうちにはもちろん、…

想像力は必要か

考察をはじめるにあたって、まずは次の点を確認しておくことにします。 「苦しんでいる他者は、現実に存在する。」 わたしもあなたも知らないところで、苦しんでいる人がいるのではないか。このように言った時には、当然、次のような返答もありうるものと思…

見知らぬ隣人

ところで、他者をめぐる問題には、わたしとあなたという二者関係を越え出ずにはいない側面があるといえるのではないか。 「世界には、わたしの知らないところで苦しんでいる人々が無数に存在する。」 わたしとあなたということであれば、対話することが、互…