イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

2018-02-01から1ヶ月間の記事一覧

悔い改めの可能性

「地獄と悔い改めのあいだには、一筋縄ではゆかない関係があると言えるのではないか。」 すでに論じたように、もしも人間が本当に地獄にゆくようなことがあるとすれば、その人がそれまでの生き方を悔いることはまず間違いがないでしょう。その場合には、それ…

「覆水盆に返らず……。」

地獄について、まずは次の点を指摘しておくことにしたいと思います。 「地獄は人間に、立ち戻りの可能性が尽き果てる地点を指し示す。」 人生はいつでもやり直せるというのはよく言われることですが、定義上、このことは死後の地獄には当てはまりません。真…

地獄の問題

そろそろ、今回の探求の主題に移ることにします。 「第二の死が実現される特権的な場所とは、地獄にほかならない。」 フィクションの中で鳴り響く苦しみの無限反復の叫び声もきわめて興味深いものですが、やはり本来の第二の死といえば、この領域をおいて他…

ハイデッガー哲学への補註

第二の死について、まずは次の点を再確認しておくことにします(導入については、前回の記事を参照)。 「第二の死は、誰にとっても望ましいものではありえない。」 すべての人が死後に無限に苦しみつづけることを避けたがるというのは、あえて強調するまえ…

第二の死

『カゲロウデイズ』のような作品(分析については、前回の記事を参照)は、人間の心が、第二の死というモメントに関わらずにはいないことを示しているといえます。 定義: 第二の死とは、死んだ後に人間を襲う、終わりのない苦しみのことである。 フィクショ…

『カゲロウデイズ』について

反出生主義と次の探求の主題を結ぶ導きの糸として、今回はボーカロイドによる楽曲『カゲロウデイズ』を取り上げてみることにします。 じん/カゲロウデイズ ボーカロイド音楽において際立っているのは、作品と死との間の距離の危機的なまでの近さです。作品と…

貧者と病人

反出生主義が提起する問題に部分的な共感を覚えつつ筆者が提出したいのは、次のようなテーゼです。 悲惨の存在テーゼ: 1.この世には、耐えがたいほどの苦しみが存在する。 2.しかし、その程度には人ごとに、決して小さくない違いがある。 1の側面に正面か…

サドよ、呪われし同時代人たる汝は……。

「あなたはなぜ生きているのか」という問いに対する、反出生主義者の第三の回答を見てみることにします。 反出生主義者の回答その3: 「わたしがまだ生きているのは、身近な他者に迷惑をかけないためである。」 きわめて常識的な答えではありますが、この回…

「偽物の選別」

「あなたは、なぜまだ生きているのか?」という問いに対する反出生主義者の二番目の回答は、誤答(?)を取り上げてみることにしましょう。 反出生主義者の回答その2: 「わたしが生きているのは、死ぬのが怖いからである。」 一般人であれば「むべなるかな…

行為は語る

それにしても、人類の絶滅という「公共善」を実現するためには(この点については前回の記事を参照)、反出生主義者は、果てしなく困難な道を歩むことを求められているといえるのではないだろうか。 「反出生主義者は自らの目標の実現のために、人格の完成を…

滅びとしての公共善

「あなたは、なぜまだ生きているのか?」という問いに対する、反出生主義者の答えを検討してみることにしましょう。 反出生主義者の回答その1: 「私がまだ生きているのは、人類の善の促進のためである。」 この場合、善とは人類の可及的速やかな絶滅の完了…

目標の達成?

まずは、多くのひとが反出生主義者に対して抱くであろうと思われる(?)疑問を取りあげてみることにします。 「存在することが害でしかないなら、あなたはなぜまだ生きているのか?」 個人的な痛みを抱えている自殺志願者とは異なり、反出生主義者は、存在…

反出生主義という思想

今回からの探求は、次の言葉を取り上げることから始めたいと思います。 「生まれてこなければよかった。 Better never to have been.」 デイヴィッド・ベネターの著書のタイトルにもなっているこの言葉は、彼の書物のみならず、あらゆる時代の思想や文学のテ…

今日で世界が終わるとしたら

そろそろ終末についての考察は一区切りということにしたいと思いますが、最後に、(あまりにも?)しばしば取り上げられるものであるとはいえ、やはり次の問いを問いかけておくことにします。 「今日で世界が終わるとしたら、わたしは何をするだろうか。」 …