2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧
前回の論点を再確認するところから、始めることにしよう。 すでに何度か取り上げてきたので、スマートフォンの例を続けることにする。スマートフォンの充電用コンセントそれ自体は、それを使う人間との間に直接の関係を取り結ぶわけではない(=コンセント単…
そろそろ、『存在と時間』世界論の核心部分に踏み込む時がやって来たようである。 問い: 適所全体性、すなわち、物と物との間に取り結ばれる、目もくらむほどの連関の総体としての世界は、何を「目的としている」のか? 道具は道具全体性、あるいは適所全体…
世界とは共同世界、あるいは公共世界でもあったけれども(前回の記事参照)、私たちは、この世界なるもののさらなる広がりを探ってみなければならない。 論点: 私たちが道具との関わりのうちで生きている「配慮的気づかい」の世界は、自然との関わりのうち…
世界が世界であることには全体性という契機が関わっているとして(前回の記事参照)、この全体性なるものは、果たしてどこまで広がっているものなのだろうか。 『存在と時間』におけるハイデッガーの主張: わたしが生きる世界はそのまま、わたしがそこで他…
現存在、すなわち人間と道具との関わりについて、もう少し掘り下げて考えてみることにしよう。 論点: 道具を用いるという経験には、必ずその時々の状況を構成する全体性という契機が関わってくる。 たとえばわたしが、早朝、部屋の中で、ノートに文章を書き…
A子さんの周囲世界は、ふだん使っているスマートフォンの電源が切れることによって、かえって閃くこととなった(前回の記事参照)。しかし、このように目立つわけではないとしても、世界という現象への手がかりは、私たちの日常のうちにも常に存在し続けてい…
ふだんは目立つことのない道具なるものが目立ったものとなってくるケースとして、ハイデッガーは「目立ってくること」「押しつけるようなありかた」「手に負えないこと」の三つを挙げている。ここではその内から「目立ってくること(利用できないこと)」に…
私たちがふだんはっきりと気づくことのないままにその内を生きている「世界」とは、いったい何なのだろうか。この問いを問うにあたってハイデッガーが打ち出すテーゼとは、次のようなものである。 『存在と時間』における世界論の根本テーゼ: 世界が世界で…
『存在と時間』の本論の内容に踏みこんでゆくことにしよう。ハイデッガーとともに最初に私たちが取り組むことになるのは、「世界とは何か?」という問いにほかならない。 ハイデッガーがこの本で提唱した「世界内存在」という表現はよく知られているが、「世…
本論の内容に入ってゆくにあたって、まずは大まかな見取り図を得ておくことにしたい。今回の読解では、筆者はハイデッガー自身による本の構成に大まかに言えば重なるような形で、『存在と時間』を二つの部分に分けて論じてゆく予定である。 ①読解の前半では…
私たちは、『存在と時間』序論の核となる論理をたどり終えた。これまでの歩みを要約しておこう。 『存在と時間』序論の論理: ①「そもそも存在するとは、何を意味するのか。」哲学は、この問いをあらためて設定するべきである(存在の意味への問い)。 ②とこ…
論点: 実存の概念は、それが学問になるのかならないのかが問題とされうるような、一種の限界概念である。 現存在、すなわち人間の存在には「各自性」という性格もあると、ハイデッガーは指摘する。人間が選び取るその時々の存在のあり方は、「そのつど私の…
「人間を、人間として根源のところから問い直す。」正統の路線を貫き通すことが、突き抜けて、秩序の未曾有の改革に至ってしまうことがありうる。ある意味では、哲学における王道の中の王道とも言える問題設定のうちに、ハイデッガーは爆弾のような概念を忍…
私たち人間は必ず常にすでに、何らかの存在了解のうちで生きている。ハイデッガーはここから、『存在と時間』における自らの課題を設定するに至る。 『存在と時間』の問題意識: 存在の意味への問いを問うためには、まずは現存在、すなわち、人間という存在…
存在するとは、そもそも何を意味しているのだろうか。ハイデッガーが『存在と時間』の探求を始めるにあたって注目した事実とは、次のようなものであった。 『存在と時間』の出発点: 私たち人間は、常にすでに、何らかの存在了解のうちで生きている。 了解と…