イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

2020-07-01から1ヶ月間の記事一覧

ジョルジョ・アガンベンと、学ぶことの喜び

論点: 哲学の学びとは一面において、本質の真理が、すなわち、あるものの「何であるか」が、いまだ見知らぬものとして明かされる体験である。 たとえば筆者自身の例でいうと、筆者には、最近アガンベン(ジョルジョ・アガンベン。最近、コロナ関連の発言で…

見えない宝を、守り匿いつづける営み

論点: 本質の真理を守り匿うことは、哲学に固有の務めである。 たとえば、真理という主題を取り上げて考えてみることにする。 真理は、たとえ人間にとって語られるということがなくとも真理であり続けるであろうというのが、われわれの直観である。語られよ…

ラグビーをすることの、見知らぬ幸福

論点: 本質の真理を問うこととは、生きることを学ぶことである。 生きるとは当たり前のことではなくて、学ばなければならないことである。そして、学ぶためには言うまでもなく、学ぶための意志が必要である。 たとえば、筆者にはこれまで、自分がプレーする…

「生は、生きるに値するのか」

論点: 本質の問いを問うことは、この世界と生を尊敬することを前提としている。 たとえば「美とは何か」と問う時には、ひとは美というものを何か問うに値する、探し求めるべき何ものかとして追い求めている。美しいものなどどうでもいいと思っているのなら…

学ぶとは、想起すること

論点: 本質の問いを問うことのうちで、想起することとしての思考の本性が示される。 たとえば、「美とは何か?」と問う時には、ひとはこれまで出会ってきた美しいものや出来事のことを絶えず思い返しながら、その振り返りのうちで美の本質に迫ろうとする。 …

美の本質についての定式化

前回までで、美に関して今回言いたかったことには一区切りがついているのではあるが、なお一つの論点を指摘しておくこととしたい。 論点: 美は真だけではなく、善にも関わる。 話が少し複雑になってしまうのではあるが、事柄それ自体がそうなってしまう必然…

「カタストロフを経て、私たちは……。」

論点: 真へと向かう限りにおいて、美は美たりうる。 真実を、何かあるものの、ありのままの姿を知ろうとすることは、時に息切れのするような、命をすり減らすような企てになることもある。しかし、本当に美しいと言えるような作品には、たとえほんのわずか…

芸術が燃え尽きたとき

論点: 前世紀の芸術は、一面においては、「美とは快をもたらすものである」という定式に対して挑戦を投げかけていたと言えるのではないか。 「美とは快をもたらすものである」は、トマスやカントにおいても踏襲されていた、いわば美に関する伝統的なテーゼ…

実在の探求

論点: 認識能力の戯れによる快の経験は、その深度が増すにつれて、真剣な仕事という側面が大きくなってゆく。 実在するものを描き、書くというのは、非常に労多き仕事であることは確かである。そのためには、実在を作り上げている複雑繊細な構造を丹念に追…

自然から存在へ

論点: 自然の美はわれわれをして、存在するものの奥深さという観念に親しませしめる。 いかなる芸術家も、自分の作り出す作品の美が、一本の樹木や、一筋の小川の流れのうちに宿る美を超えているとあえて主張することはないであろう。 そして、彼らの作品自…

芸術は何と闘っているのか

論点: 芸術作品は、人間や世界の真実の姿を描き出す。 子どもや青年たちは、現実から遊離した架空の世界や物語に夢中になるものである。 それは、すでに論じたように、彼らが遊びという、能力の開発・訓練の過程のただ中にあることと深い関連があるだろう。…

「きみの目に映るものを……。」

この辺りで問題に、別の角度からアプローチしてみなければならぬ。 論点: 美が認識能力の自由な戯れと関係を持つことは疑いえないが、その一方で、芸術作品は、現実的なものに至ろうとする飽くことのない努力のただ中で生み出される。 たとえば、一見現実と…

認識能力の総合競技

論点: 美を味わうためには、無意識的であるにせよそうでないにせよ、何らかの複雑な知的行程が必要とされる。 美における快は、カントによれば、「構想力と悟性の自由な戯れ」から生じる。「構想力と悟性」というのは、分かりやすい言葉に置き換えるならば…

遊戯の効用

論点: 遊戯は、人間を現実上の拘束から解放しつつ自由な活動状態のうちに置くことによって、人間の諸能力を開発し、育成する。 上の論点はすでにイマヌエル・カントによって指摘されているものではあるが、ここでは筆者なりのしかたで問題を整理してみるこ…

子どもは遊ぶことを好む

美の本質を掘り下げるためには、遊びという行為の本質を掘り下げてみる必要がありそうである。 論点: 子どもと若者は、遊ぶことを好む。 この論点は観察可能な経験的事実として異論の余地がなさそうであるが、ここでは冗談というものを例にとって考えてみる…