イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧

後半戦の開始

そろそろソフトな反フィクション論を離れて、ハードな反フィクション論の方の検討に移ることにします。 ハードな反フィクション論……およそ、ありとあらゆるフィクションの存在を批判する。 この論に対してフィクションの「弁明」を行うとすれば、その後の論…

正義の次元ふたたび

本題に戻りつつ、そろそろソフトな反フィクション論の考察に暫定的な結論を下しておくことにします。 暫定的結論: フィクションの是非に関する判定を下すにあたっては、倫理的正しさという基準が存在する。 明示的にせよ暗黙のうちにせよ、あるフィクション…

教育と倫理の問い

少し話が逸れてしまいますが、この機会に、筆者にとって決定的に重要と思われる一論点を提起しておくことにします。 問題提起: 哲学者にとって教育という問題に向き合うことは、いわば必須課題であると言えるのではないか。 いやこれ、ホントそうなんではな…

フィクションと、罪や悪徳の関係

フィクションの是非に関する一論点: この世に流通するフィクションの多くが、罪や悪徳を取り扱っている。 たとえば、次の二つの映画のうち、どちらが大ヒット記録する見込みが高いと思われるでしょうか。 1. 登場人物たちが次々に死んでゆく、無差別サバイ…

ジョン・ドウとハリウッドの暗黒面

フィクションに関する「危険」: フィクションには、その作品を誤読あるいは誤解してしまうという危険が常に存在する。 たとえば『源氏物語』を読んで、男女の愛というものは、どんな場合であってもひとたび生まれてしまったらそれを追いかけるしかないのだ…

性愛は人を殺す

前回までに論じたことを踏まえつつ『源氏物語』に立ち戻ってみる時、私たちは、この作品を以前とは異なった視点から眺め直すように促されます。 『源氏物語』は、光源氏とその恋人たちのきらびやかな恋の物語を描いています。しかし、この作品がその一方で、…

芸術といわゆる「善悪の彼岸」

フィクションに関する一事実: およそいかなるフィクションにおいても、因果応報の原則が働いている。 夜神月が大量殺人によって「新世界の神」になることが決してできないのと同じように(前回の記事参照)、私たちは、因果応報の原則が機能しないような作…

夜神月は死なねばならない

ソフトな反フィクション論の主張: ある種のフィクションは、鑑賞者の悪徳の形成を促してしまうがゆえに批判されるべきである。 上のような主張に対しては、次のように反論してみることもできそうです。 ソフトな反フィクション論への反論: 通常のフィクシ…

『源氏物語』から考える

フィクションの存在に疑義を申し立てる二つの立場: 1. ハードな反フィクション論……およそ、ありとあらゆるフィクションを批判する。 2. ソフトな反フィクション論……数あるフィクションの中で、一部のフィクションのみを批判する。 2の立場の主張をさらに突…

「私は、合鍵の話をしているのですよ」「ええ、私もです」

フィクションは悪なのではないかと主張する立場には、大まかに言って次の二つのものがあると言えそうです。 フィクションの存在に疑義を申し立てる二つの立場: 1. ハードな反フィクション論……およそ、ありとあらゆるフィクションを批判する。 2. ソフトな反…

問題への予備的考察

最初に、次のような疑問について考えておくことにします。 哲学者への疑問: なんでわざわざ、フィクションが悪なのかとか考える必要あんの?別に面白かったらそれでいいんじゃね? この疑問に対しては、たとえば、次のように答えることができるかもしれませ…

フィクションは悪か

そういうわけで、哲学です。早速ではありますが、今回探求したい問題は、この記事の表題の通り、「フィクションは悪か」というものです。 おそらく、現代人に「あなたは、フィクションは悪だと思いますか?」と尋ねたとしても、ほとんどの人は戸惑うか、ある…

もはや哲学しかない

「……あれ?どうしたんですか。」 色々考えててもしょうがないから、次回からまた丁寧語文体に戻して、哲学を始めることにしたのである。僕はもうすべてを諦めて、ただ哲学するだけである。今日は短いけど、この辺りにしておくことにする。ぐすん……。

出版社から連絡は来た。しかし……。

突然だが、僕はこのブログの今後の方向性について、ここで一度シリアスに考えておかねばならぬ。まぁ、どっちにしろ、考えても事態がいい方向に向かうことは期待できなさそうではあるが、それでもやっておかねばなのである。 「……?何かあったんですか?」 …

社会についての考察のおわりに

私たちは前回までで、社会への同意という地点に辿り着きました。いささか急ではありますが、今回の探求は、ここでひと段落ということにしたいと思います。 というのも、この同意がどのようなものであるのかを考え始めると、私たちは「人間は社会の中で生きて…