イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

2021-02-01から1ヶ月間の記事一覧

二月の振り返り

次回からは別の主題に移ることとして、今回の記事では、二月の歩みを振り返っておくことにしたい。 二月前半の探求では、実存の本来性としての聞くことの取り戻しを可能にする根拠を求めて、信じるという契機の分析を行った。他者への信は人間にとって、一箇…

探求の暫定的な結論

そろそろ、昨年の十月末から始めた探求に一区切りをつけることにしたい。私たちははじめに、次のような問いを立てた。 問い: わたしは他者について、何を知りうるか?そして、その他者といかにして関わるべきか? 問いの前半部「わたしは他者について、何を…

哲学と芸術が行ってきたこと

論点: 公共世界における言語活動からは必然的に抜け落ちてしまう実存の次元の存在を示し続けることは、哲学の務めの一つである。 哲学も公共の言論空間において語る際には、おのれの語りを何らかの公共性を備えた一つの言論とみなしつつ語らざるをえない。…

監獄化したオイコス

論点: 公的領域と私的領域との間の関係は、今日、無視することのできない危機の時局を迎えつつあるのではないか。 人間が単に存在するのではなく「実存」する存在である以上、人間の人間性を公共性の次元に還元してしまうことはできない。公共性の次元は意…

公共性から実存へ

論点: 公共の言論空間の中では、人間が本当の意味で語るということも聞くということも、ほとんど起こりえないことなのではないだろうか。 すでにくり返し論じてきたように、公共世界における言葉のやり取りは有用性の論理を暗黙の前提にしているために、人…

「この地獄はいつ終わるのですか」「まあ、そんなこと言わないで。まだ始まったばかりなんですから」

論点: 「公衆は真理を語る」という公共世界の前提が、人間にとって致命的なものになるということもありうるのではないか。 前回論じたように、公共世界における言論のやり取りは、有用性の論理をほとんど議論の余地なく妥当するものとして前提している。従…

公共世界と反出生主義

公共の空間における言論を、いかに現在進行中の、あるいは来るべき野蛮化と蒙昧化から守ってゆくかというのは、良識あるすべての人が無視することのできない大きな問題であることは疑いえない。しかし、ここで筆者が哲学者として行いたい問題提起は、これと…

公共世界と信の構造

論点: 私たちが生きている公共世界も他のあらゆる時代の社会と同じく、それに特有な信の構造を備えている。 前回取り上げた論点を、さらに掘り下げてみることにしよう。すなわち、ここでは、現代の人間が言葉や言論のやり取りを行っている公共世界も、「他…

実存論的構造としての、他者への信について

論点: 他者が真理を語る可能性を信じることは人間にとって、生きてゆく上で不可欠な実存論的構造をなしているのではないか。 この構造ははっきりとは意識されていなくとも、実存論的なアプリオリを構成するもの、すなわち、実存するあらゆる人間の生の可能…

「もしも誰に何を聞いたとしても、何も得られないとすれば……。」

論点: 他者が真理を語るという可能性は、人間にとって、本当は命そのものにも等しい意味を持つのではないだろうか。 たとえば今、生きていることの意味がわからなくなってしまい、心を病んでいる人がいるとする。その人にとっては、自分自身が生物学的に生…

他者が真理を語るという可能性について

論点: 他者の言葉を信じるとは、言葉それ自体を超えて、語っている他者その人を信じることである。 頽落、すなわちさしあたり大抵の状態にある人間にとっては、真理を認識し、語ることができる特権的な主体とは自己自身にほかならない。人間はただ語り、自…

他者の痛み、あるいは、スコラの探求理念を実存論的に反復するという課題について

論点: 聞くという行為は、自己を超絶する他者の言葉を信じることによって可能になる。 たとえば、他者であるあなたが、認識の主体であるわたしの知らない苦しみであるAについて、こう言ったとする。 他者の言葉: 「わたしは今、Aという苦しみを感じている…

行為遂行的発言の例

もう一つ、具体例を取り上げてみることにしよう。 苦しんでいる人に対して言われる言葉: 「あなたは今は苦しんでいるけれども、耐え忍ぶならば、あなたの人生はきっと良くなるのではないかと私は思う。」 表現はこれとは違ったとしても、苦しんでいる人と話…

哲学史の例

信じることの問題圏の広がりを確かめるために、一つの問いを具体例として取り上げてみることにしよう。 問い: しっかりとした哲学を築き上げるためには、哲学史を前もって入念に学んでおくことは必要か? 答え: ①必要である。 ②必ずしも必要ではない。 い…