2021-11-01から1ヶ月間の記事一覧
ハイデッガー自身の言葉を取り上げるところから、「死へと関わる存在」をめぐる議論の方へと戻ってゆくことにしよう。 「生をはなれることを医学的-生物学的に探究することで、存在論的にも意義を有しうる成果を獲得することが可能であろうが、それは、死に…
存在問題を問うという点に関しては、もう一つの補足をしておかなければならない。今回の記事の内容は『存在と時間』の読解の範囲を超えて、もう少し広い問題の圏域を取り扱うことになるが、哲学の歴史を顧みつつこのブログの目指すべきところを見定めたいと…
論点: マルティン・ハイデッガーによって「死へと関わる存在」のモメントと共に「存在の問い」が提起されたことは、哲学の歴史そのものにとって無視することのできない意味を持つのではないだろうか。 私たちはここで、哲学の歴史を〈存在〉の問題圏を軸に…
論点: 死の現象は『存在と時間』が提起している「存在の問い」そのものにとって、根源的というほかない重要性を持つものである。 ハイデッガーの言葉を借りるならば、死ぬこととは人間にとって、現存在することの「不可能性の可能性」を意味している。すな…
現代の哲学書である『存在と時間』が、近代の哲学に対して立っている歴史的な位置という問題については、もう少し掘り下げて考えておかなくてはならない。デカルト『省察』のよく知られた箇所を、ここで思い起こしてみることにしよう。 「それゆえ、すべての…
「死はそのつど私のものである」という『存在と時間』第47節の表現は、この本自体の道行きを考える時には、きわめて重要な意味を持ってくる。なぜなら、この本の探求が本格的に開始される第9節の時点において、ハイデッガーはすでに、次のように書きつけてい…
前回に見た「他者の死を共に死ぬことの不可能性」という論点から、さらに先に進んで考えてみることにしよう。 「[…]代理可能性は、現存在をおわりに到達させる存在可能性、そうした可能性として現存在にその全額を与えるような存在可能性を代理することが…
現存在、すなわち人間の「死へと関わる存在」は、どのように規定されるのだろうか。この点を明らかにするにあたってハイデッガーがまず指摘するのは、次の論点にほかならない。 論点: 私たちは人間の「死へと関わる存在」を解明するために、他者たちの死と…
17世紀の哲学者であるスピノザの主著『エチカ』の第4部定理67は、次のようになっている。 『エチカ』第4部定理67: 自由の人は何についてよりも死について思惟することが最も少ない。そして彼の知恵は死についての省察ではなくて、生についての省察である。 …
それにしても、私たちは死というこの主題に対して、どのようにして接近を試みることができるだろうか。まずは、ハイデッガーが指摘している次の論点を確認するところから、考え始めてみることにしよう。 「現存在が存在者として存在しているかぎり、現存在は…
実存の本来性の圏域へと踏み入ってゆくにあたって最初に問われるのは、人間の「死へと関わる存在」に他ならない。 論点: 『存在と時間』の第二篇第一章のタイトルは、「現存在の可能な全体的存在と、死へとかかわる存在」となっている。 哲学史に残っている…
実存の本来性についての分析を進めてゆく中で、私たちが読解に取り組んでいるこの本のタイトル『存在と時間』が、なぜ「時間」の語を含むのかも明らかになってくる。私たちは、この点についても先の見通しをつけておくことにしよう。 論点: 『存在と時間』…
私たちは「不安」の現象の分析を終えて、いよいよ実存の本来性の圏域に踏み入ってゆこうとしている。「死への先駆」と「良心の呼び声」の分析を開始するにあたって、まずは前もってこれから先の見通しを得ておくことにしたい。 論点: 「死への先駆」と「良…