イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧

人間性なる概念をめぐって

二つ折れの与え: 意識としてのわたしの与えと「この人間」としてのわたしの与えとは、二つでありながらひとつながりであるような出来事の生起として与えられる。 当たり前ではあるが、重要な話である。哲学とは、自明には見えるけれども根源的な事柄を、ど…

二つ折れの与え、あるいは、人間になるということ

ふたたび、純形而上学的な方面に話を戻すこととしたい。 論点: わたしが他の誰でもないこのわたしであるという事実は、二つ折れの与えという出来事として生起する。 すでに論じた二つの与えについて、思い起こしてみる。 1.意識の与え、あるいは、思考する…

存在することの、否定しがたい重みについて

論点: 人間の不幸の少なからぬ部分は、現実性という様相を軽視するところから生まれてくるのではないか。 当たり前にも聞こえるかもしれないけど、現実っていうのは非常に大切なものである。しかし、現実というのは、頭の中で思い描いているヴィジョンや理…

現実性の概念について

論点: 「この人間」の与えにおける根源的事実性は、現実性とも言い換え可能な表現である。 そうなのである。「わたしは他の誰でもない、『この人間』である。」そうなのよ。何言っても、全部捨てたくなって絶望しても、結局「このわたし」でやってくしかな…

「この人間」であることの受苦

論点: 現代の人間が向き合わされているのは、「この人間」であることの受苦という問題なのではないだろうか。 「現代の」という表現を付け加えたのは、反出生主義のこととか、その他色んな事情があるわけだけど、ここで論じたい問題はおそらく、この世を生…

絶対確実性と根源的事実性

1.意識の与え、あるいは、思考するわたしの与え。(絶対確実性) 2.個人の与え、あるいは、現実の中で生きる「この人間」の与え。(根源的事実性) この二つの与えについては、まずは次の点を確認しておくこととしたい。 論点: 絶対確実性の真理と根源的事…

コギトへの注釈と、「この人間」の与えについて

「コギト・エルゴ・スム」に関して言えば、哲学的には次のような二つの与えを区別できるように思われるのである。 1.意識の与え、あるいは、思考するわたしの与え。(絶対確実性) 2.個人の与え、あるいは、現実の中で生きる「この人間」の与え。(根源的事…

「唯一、絶対に確実な真理」

論点: 「存在のみ」の次元は、「この人間」の与えという出来事に結びついている。 この辺りのことに関する事情は、すでに一度『「わたし」とは何か』で論じたので、もしあれならそちらも参照していただけるとありがたいのだが、ここではそこでの議論を、新…

哲学は苦しみから

論点: 人間は生涯のどこかの時点で必ず、「存在のみ」の次元に向き合うことになるのではないだろうか。 議論が相当くどくなってきている気もするが、非常に重要なところなので入念に議論を重ねておきたい。しつこくてごめん。しかし、哲学するにあたっては…

力能の喪失と、その極限としての死について

問い: 人間は、何らかの意味で有能でなければ存在していてはいけないのか? 力能があるっていうことについては、人間の世界ではさまざまな可能性がありうる。例えば、頭がいいとか、スポーツできるとか、人付き合いがうまいとか。容姿がカッコいい/かわいい…

哲学と黙示、あるいはソクラテス的無能について

論点: 現代の人間は、「あらゆる力能から切り離された、存在のみの人間」という形象に直面しているのではないだろうか。 ここには、根源的な問いがある。すでに書いたように、僕はこの問いの背景として近代の、すなわち、理性の力能の時代の終わりという歴…

現代と反出生主義雰囲気の問題

結局、近代という時代が突き詰めたのは、次のようなアリストテレス的人間観だったのではなかろうか。 アリストテレス的人間観: 人間とは、理性的動物である。 理性を持っている、すなわち、ものを考える力がある。なんだかんだ言っても、これが人間をほかの…

理性の自己喪失

論点: 今日、哲学はおのれ自身の無能を苦しんでいるのではあるまいか。 たとえば、デカルトをはじめとする17世紀近世哲学の時代には、哲学って、もっとずっと有能な何かに見えていたはずである。ていうか、哲学者がXY座標平面とか微分法とかを発明したりも…

力能と無能のあいだ

しかし、存在の対話と力能の対話というこの論点は、おそらく一筋縄ではゆかないものである。 論点: 哲学は、本源的には存在の次元に関わるとはいえ、力能の次元に関わらないというわけでは決してない。 たとえば、デカルトには『精神指導の規則』というテク…

力能の対話と存在の対話

対話は重要だ。しかし、一口に対話と言っても、僕には大きく言って二つのタイプの対話があるように思われるのである。 論点: 対話の種類には、力能の対話と存在の対話の二つがある。 対話力がある種のスキルだっていうのは、これはもう間違いのないことだ。…