イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

これから地獄の話をしよう

寄る辺なさを否認することはできない

地獄についての考察を終えるにあたって、次の点を改めて確認しておくことにします。 「死後のことについては、私たちは無知である。」 人間に間違いなくわかっているのはただ、自分の身体が、いつの日か朽ち果てて死ぬであろうということだけです。その後に…

地獄についての筆者個人の見解

地獄についての考察からは、次のような帰結を引き出すことができそうです。 「人間は、自分が口にする言葉には気をつける必要がある。」 この場合でいえば、例えば、次のような言明は避けたほうが無難なのではないか。 地獄についての不用意な発言例その1: …

悔い改めの可能性

「地獄と悔い改めのあいだには、一筋縄ではゆかない関係があると言えるのではないか。」 すでに論じたように、もしも人間が本当に地獄にゆくようなことがあるとすれば、その人がそれまでの生き方を悔いることはまず間違いがないでしょう。その場合には、それ…

「覆水盆に返らず……。」

地獄について、まずは次の点を指摘しておくことにしたいと思います。 「地獄は人間に、立ち戻りの可能性が尽き果てる地点を指し示す。」 人生はいつでもやり直せるというのはよく言われることですが、定義上、このことは死後の地獄には当てはまりません。真…

地獄の問題

そろそろ、今回の探求の主題に移ることにします。 「第二の死が実現される特権的な場所とは、地獄にほかならない。」 フィクションの中で鳴り響く苦しみの無限反復の叫び声もきわめて興味深いものですが、やはり本来の第二の死といえば、この領域をおいて他…

ハイデッガー哲学への補註

第二の死について、まずは次の点を再確認しておくことにします(導入については、前回の記事を参照)。 「第二の死は、誰にとっても望ましいものではありえない。」 すべての人が死後に無限に苦しみつづけることを避けたがるというのは、あえて強調するまえ…

第二の死

『カゲロウデイズ』のような作品(分析については、前回の記事を参照)は、人間の心が、第二の死というモメントに関わらずにはいないことを示しているといえます。 定義: 第二の死とは、死んだ後に人間を襲う、終わりのない苦しみのことである。 フィクショ…

『カゲロウデイズ』について

反出生主義と次の探求の主題を結ぶ導きの糸として、今回はボーカロイドによる楽曲『カゲロウデイズ』を取り上げてみることにします。 じん/カゲロウデイズ ボーカロイド音楽において際立っているのは、作品と死との間の距離の危機的なまでの近さです。作品と…