イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

死について考える

死についての探求の終わりに

そろそろ、今回の探求に一区切りをつけておくことにしたい。 結論: 善き師として生きることが、哲学者が死に対して行いうる最大の抵抗である。 途中から、死については全く語られなくなってしまったが、これはある意味では事柄の本質から出てきたことであっ…

「海辺の街を歩くように……。」

論点(再提示): 弟子によって越えられることが、恐らくは師の最後の仕事である。 師は、自分が教えてきたことを弟子が自分のものにするまでは、弟子が勝手なことをするのを許さないであろう。しかし、師が言葉の真の意味における人間であるならば、弟子を…

『差異と反復』をめぐって

論点: 弟子によって越えられることが、恐らくは師の最後の仕事である。 哲学の師はすべからく、自分自身が築き上げた哲学は、本質的には、自分一代限りのものであると覚悟しておかなければなるまい。 未来には、予想もしていなかった何かがやって来てしまう…

師も弟子も、人ではなく真理に従う

問い: 弟子は、師に対して絶対の忠誠を守る義務があるのだろうか。 この問いに対しては、心苦しいのではあるが、否と答えねばなるまい。師を敬わねばならないというのは基本中の基本であり、自分の判断よりも師の言葉を優先しなければならないのは確かだと…

継承の哲学史:ハイデッガーの場合

論点: 弟子は、師が予想することのなかったやり方で師の教えを引き継いでゆく。 これは、教えの神秘とでも呼びうる領域に属する事柄である。 弟子は途中まで、あくまでも師の教えを忠実に守ってゆこうとするのだが、ある決定的な地点において、師の教えより…

師は語り続けている

論点: 障害は無数にあるけれども、それでも真理の言葉は、師から弟子へと受け継がれてゆく。 このことは、哲学の歴史自体が証明している。哲学史とは、真理の言葉の継承でなくて一体何であろうか。教えが時代から時代へと、また、時には時代を超えて受け継…

弟子が師のもとを去ることもある

論点: 師と弟子とは、最終的には異なる二つの人格であらざるをえない。 苦々しい事実ではあるが、認めねばならない。師が弟子に対してなしうることには、ある越えがたい限界があると言わざるをえないように思われるのである。 弟子が、ダークサイド(すなわ…

ソフィストの誘惑

論点: 学びが成就するかどうかは、最終的には弟子の選択に委ねるほかない。 師は弟子の実存のあらゆる要素を気づかうわけだが、師にできることにも限界はある。師は、その最後の局面においては、弟子の心に善なるものが宿っていることを信頼するほかないの…

歯医者の例、あるいは、師の引き受ける労苦について

論点: 師は、弟子が望もうと望むまいと真理を伝えなければならないという、困難な務めを引き受けなければならない。 師は本当に「真理を知っている」のか、事によると、師が間違っている場合もあるのではないかというのは、それはそれで大きな問題ではある…

プロティノスと「真の人間」

これまではどちらかと言うと弟子の立場から考えていたが、ここからは、師の立場から師弟関係について考えてみたいのである。 論点: 師は、弟子の人間性について熟知しているのでなければならない。 真理の伝達というのはおそらく、全人格的な営みである。古…

師は、弟子を善へと導く

論点: 師は、弟子の人生を善へと導く。 弟子としての、筆者自身の体験から考えてみる。筆者も他の哲学徒たちと同じく、哲学のマスターたちの言葉に耳を傾けることから、多大な恩恵を受け続けてきた(はず)である。 いや、ほぼ毎日のように「われは罪人なり…

プラトンとアリストテレス、その現代への影響

論点: 師の言葉は、弟子がそれを間違っていると思うときであっても、往々にして正しい。 恐らくこれは、哲学を学ぶ時にはこの上なく重要な論点であろう。 ホワイトヘッドが哲学の世界では有名な言葉を残していて、それは「哲学って、要するにプラトンとアリ…

「我もいつかは……。」

論点(再提示): 師は、弟子よりも先に死ななければならない。 おそらく、哲学の道を歩んでいる者にとっては、著作をまとめるというのはやらねばならぬと同時に、できるならば避けたい仕事であろう。 探求とか勉強って、やればやるほど深まってゆくわけで、…

「存在の超絶」と、レヴィナスとの関係

論点(再提示): 師は、弟子よりも先に死ななければならない。 手前味噌な話にはなるが、筆者は昨年の十二月頃から、「存在の超絶」というイデーを掘り下げることを試みている(興味をお持ちの方は、この時期の記事を参照されたい)。 自分一人で言ってても…

『全体性と無限』を書いた時期のレヴィナス、あるいは、二十世紀哲学史あれこれ

論点(再提示): 師は、弟子よりも先に死ななければならない。 ハイデッガーについてはすでに前回書いたから、もう一人の師についてもここに書き記しておくこととしたい。筆者はここ数週間、エマニュエル・レヴィナス先生の『全体性と無限』を読み直してい…

『存在と時間』を書いた時期のハイデッガーについて

論点: 師は、弟子よりも先に死ななければならない。 師は、なぜ偉大なのであろうか。それは究極的には、師が弟子よりも先に生き、生きるということはどういうことかを自分自身の目で先に見てきたからに他ならないのではないか。いやほんと、これってそうな…

他者のうちで生き続けるということ

論点: もしも、わたしが他者に対して善をなすとすれば、その善はわたしの死を超えて「生き残る」であろう。 哲学徒であるわれわれとしては、やはり哲学に例をとることにしたい。他の人々からは異なった意見も出るであろうが、われわれにとっては、哲学をす…

存在の超絶へ

ここまでで出てきた結論は、次のようなものである。 問い:哲学者は死について、どのように考えるべきか? 答え:哲学者は死から目を背けることなく、天から自分に与えられた務めを果たすことに努めるべきである。 哲学を学んでいる人ならばわかるように、こ…

ラーメン屋のおじさんの思い出

論点: いつか死ぬということを心に留めるとき、人間にできるのは、ただ天から自分に与えられた務めを果たすことだけである。 たとえば、僕個人の例でいえば、ここでこうして二日に一回ひとりで語り続けているのは、僕はこれが自分に天から与えられた務めな…

「君がいま学んでいることが、いつの日か……。」

論点: 真理は、人間の生を善へと導くことができるはずである。 この点についてだけは、筆者は以前よりも確信が深まってきているのである。まあ、その確信なるものも実はたんなる妄想でしかなかったという可能性もなくはないのではあるが、それでも哲学が人…

力なるものの魅惑

論点: 真理は知識と防衛のために用いるべきであって、攻撃のために用いるべきではない。 要するに一言でいえば、「ダークサイドは避けるべし」ということに尽きるのである。この点から言うと、哲学の観点からいって常にどこかで警戒し続けねばならぬのはや…

ハイデッガーの「偉大さ」とその影

論点: 美には賛嘆の声をあげることを惜しんではならないとともに、警戒を怠ってもならない。 マルティン・ハイデッガーは、哲学のど真ん中を突き抜ける当時最強の哲学書(『存在と時間』)を書き上げたが、その後にはナチスという暗黒面へと堕ちてしまった…

『存在と時間』の美

引き続き、真理と超越という主題について考えてみたい。全然関係ないけど、僕も、これを読んでくださっているみなさまもどうか、かのコロナウイルスの見えざる脅威から守られんことを……。 論点: およそ真理なるものには、美という紛うことなき徴標が付随し…

「それよりも優れたものがありえぬような適合性」

論点: 真理の審級は、私たち一人一人の人間を超越している。 「哲学者の仕事とは真理を言葉にもたらすことである」ということで、しばらくはこの真理なるものについて考えてみることにしたい。 誰でも、人間ならば年を重ねるうちに「人生ってこうだよね」と…

プロの領域

論点: 哲学者が隣人に、そして人類の共同体に贈ることのできる固有のものとは、真理の言葉に他ならないのではあるまいか。 貧者にパンを、病人に癒しをというのは、他者に与えることのできるものの中でも最も重要なものの一つであろう。また、愛する人の贈…

聞いてくれてありがとう

論点: 哲学とはその営みの本質からして、若者に呼びかけずにはいられないという宿命を背負っているのではあるまいか。 ソクラテスがアテナイの若者たちと対話することをこよなく愛していたという古典的事実(定番中の定番に勝るものなし)は、そのことの端…

自由意志と若者論

論点: 隣人に何かを贈るというのは、その人の隣人愛のあり方が試される一経験である。 隣人関係においては往々にして、「SWシリーズを好きなわけではない人にSWを贈ってしまう」といったようなことになりがちである。すなわち、相手が本当に望んでいるもの…

超絶と多様性

論点: 人間の多様性について親しく知ってゆくことは、人生の中で最も大切なことの一つである。 たとえば、なぜハリポタ好きは女性の方が多いのか。J・K・ローリングが女性だからっていうのも大きい気はするけれど、それでは、ハリポタのどこがどう、女性た…

蓼食う虫も好き好き

論点: 他者には自分が自分自身に対して望んでいるものではなく、その他者が望んでいるものをこそ与えなければならない。 この点、贈り物をするという経験は非常に教育的である。 前回にも書いたように、自分がSWのソフビ人形をいくら好きでたまらないからと…

「存在の家」の探索

前回の論点に、別の観点から補足を加えておくことにしよう。 論点:愛の体験もまた、人間を「他者のために生きる」という実存可能性へと向け変えるきっかけの一つなのではあるまいか。 赤ちゃんの話からいきなり恋愛の話に飛ぶのは、いささか唐突と思われる…