イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

ハイデッガー『存在と時間』を読む

哲学者は、何によってソフィストから区別されるか

空談なるものが一度広がってしまうと、もはやそれを押しとどめることはできない。ハイデッガー自身の言葉を引いてみる。 「語られているものそのものは、よりひろい圏内へと拡散し、権威的な性格を帯びることになる。ひとがそう言うからにはそうなのだ、とい…

空談の原理的構造:「平均的な了解可能性」の概念をめぐって

ハイデッガーによれば、〈ひと〉が語り合う言葉のやり取りは、「空談」というあり方によって特徴づけられている。空談とはどのような言葉のあり方をいうのか、原理的なところにまで遡って考えてみることにしよう。 いま、Aという存在者について、「AはBであ…

「開かれていることの見せかけ」としての公共空間:ハイデッガーの〈ひと〉論の射程

日常性における人間の実存は〈ひと〉によって引き受けられ、〈ひと〉によって支配されているのではないだろうか。これからこの問題を問い進めてゆくにあたって、最初に一つの論点を確認しておくこととしたい。 論点: 『存在と時間』においては、〈ひと〉、…

〈ひと〉の体制と、最も固有な存在可能:『存在と時間』後半部の根本主題

『存在と時間』読解の後半を進めてゆくにあたって、先に、後半戦の根本主題を確認しておくことにしよう。 後半戦の根本主題: 現存在であるところの人間は、いかにして実存の本来性にたどり着くことができるのか? 注意しておくべきは、この根本主題が奥底の…

「現存在は、非真理のうちで存在している」:読解の後半戦へ

「現存在であるところの人間は、真理のうちで存在している。」真理論の中核をなすこのテーゼに対して、次のような問いを投げかけるところから、読解の後半戦を始めることにしよう。 問い: 人間は、本当に「真理のうちで存在している」と言えるのだろうか? …

これまでの歩みを振り返りつつ(付:2021年の今、何が必読文献か?)

私たちは前回の記事までで、『存在と時間』読解の前半戦を戦い終えた。今回の記事では読解全体のプランについて一点補足しつつ、これまでの歩みを振り返っておくこととしたい。 今回の読解では第44節までを前半戦、それより後を後半戦としている論ずるという…

実存の真理の圏域へ:『存在と時間』読解の前半戦を終えるにあたって

開示する、すなわち、覆いをとって発見する現存在(人間)こそが、根源的な意味で「真」である。このように思考の歩みを進めるとき、一つの問いが立てられる。 問い: これまでの実存論的分析は、現存在であるところの人間を自分自身に対して、十全な仕方で…

扉は、開けられなければならない:『存在と時間』における「現存在中心主義」

そろそろ、真理論の仕上げに取りかかることとしたい。 ① ハイデッガーは言う。道具を用いながら生活したり、ものを眺めやったりする経験において、そこで覆いをとって発見される世界内部的存在者は、第二次的な意味で「真」であるにすぎない。世界内部的存在…

思考は、ギリシアをさえも突き抜けてゆく:哲学と「来たるべきもの」

ハイデッガーが『存在と時間』において、自らの真理論の核心を「アレーテイア」の語と重ね合わせたことの意味を、さらに掘り下げて考えておくことにしよう。 ① 古代ギリシア人たちが「アレーテイア」という語を通して暗黙のうちに了解していたことこそ、「覆…

「アレーテイア ἀλήθεια」

根本テーゼ「現存在は真理のうちで存在している」について、さらに考えてみることにしよう。 私たちがこの四ヶ月の歩みの中で見てきた実存論的分析の成果のすべてが、今や、真理論の観点から解釈しなおされることになる。すなわち、道具を用いて生活している…

「現存在は真理のうちで存在している」:再び、ウィトゲンシュタインとの比較

言明が真であることを「覆いをとって発見すること」と捉えるところから、『存在と時間』の真理論の、さらなる歩みが開かれる。 論点: 言明することは、覆いをとって発見することの一つのあり方に過ぎないのではないか? たとえば、ものを見るというまなざし…

ヘラクレイトスの言葉から:『存在と時間』真理論のギリシア的由来

「言明が真であるとは、覆いをとって発見しつつあることである」というハイデッガーのテーゼの歴史性を捉えるために、ヘラクレイトスの断片の言葉に耳を傾けてみることにしよう。少し長くなってしまうが、そのまま引用する。 ヘラクレイトスの言葉: 「ロゴ…

「伝統を根源的にわがものとすること」:ハイデッガーの真理論と「言葉の原初」

「言明が真であるとは、覆いをとって発見するということである。」ところで、ハイデッガーのこの主張に対しては、次のような反論がなされることは避けられないものと思われる。 ハイデッガーへの反論: 哲学のこれまでの伝統を、そんなに簡単に振り捨ててし…

真理論の鍵概念「覆いをとって発見すること」:あるいは、論理学が存在することは自明であるか?

さて、「壁にかけられた絵」の例の分析も、いよいよ大詰めである。 「壁にかけられた絵が曲がっている」という言明は、何を行っているのだろうか?もちろん、現実に存在する事物である壁の絵について、何ごとかを語っているのである。それでは、そもそも語る…

開かれのうちに立つこと:2021年の私たちがいる地点

現象学、そして『存在と時間』において賭けられている根本の問いとは、次のようなものであると言ってよいだろう。 問い: 見ること、そして、生きることは、何か真実なものに関わる経験であるのでなければならないのではないか? もしもこの問いに対して「否…

言明の「本当にその通りであること」、あるいは、現象学の根本問題

「確証とは、存在者がじぶんとひとしいありかたにおいてじぶんを示すことを意味する。確証は存在者がじぶんを示すことにもとづいて遂行されるのだ。」(『存在と時間』第44節aより) おそらくここは、しっかりと議論を詰めておくべきところである。20世紀哲…

存在者がおのれを示すということ:「壁にかかっている絵」の例を通して

ハイデッガー自身が挙げている「壁にかかっている絵」の例に即して、以下の主張について考えてみることにしよう。ちなみに、この例は『存在と時間』第44節の真理論が語られている中で挙げられている、唯一の具体例である。したがってこの例は、どこまでも深…

伝統的真理概念「物と知性との一致」:ハイデッガーはこの概念を、どのように掘り崩そうと試みるのか

ハイデッガーの真理概念に話を進める前に、まずは、伝統的真理概念「物と知性との一致」の内実を確認しておかなくてはならない。ハイデッガーはこの内実を、以下の三つのテーゼに要約している。 1 真理の「場所」は言明(判断)である。 2 真理の本質は判断…

存在者の存在:アリストテレスの言葉から、哲学の原初をたどる

いま論じている問題は非常に重要なものであるため、一歩一歩、じっくりと進んでゆくこととしたい。ハイデッガーも引用しているアリストテレスの言葉から、「哲学の原初」についての、古代ギリシア人自身の証言をたどっておくことにしよう。アルケー、すなわ…

古代ギリシア人たちを襲った衝撃:原初を根源的に反復するという哲学的課題

最初に、『存在と時間』第44節におけるハイデッガーの思考の根本モチーフを確認しておくことにしよう。 ハイデッガーの思考の根本モチーフ: 古代ギリシア人たちに襲いかかり、哲学の営みそのものを開始させたその衝撃のただ中で、真理現象を根源的に捉え直…

「真理問題は二千年来、ほとんど一歩たりとも進展していない」:『存在と時間』の問題意識

さて、真理論である。これまでに得られた分析の成果を総動員しつつ、ハイデッガーが『存在と時間』第44節「現存在、開示性、真理」で答えようと試みているのは、次のような問いにほかならない。 『存在と時間』第44節を突き動かしている問い: 真理とは何か…

「からだから心臓が引き千切られるのだ」:ハイデッガーの手紙から

今回の記事から真理論に入る予定であったが、当該箇所である『存在と時間』第44節を読み直していたところ、おそらくはハイデッガーが全精力をもって書きつけた入魂の箇所であることもあって、読解に集中していたら精神が崩壊しかけてしまった……。無理をして…

驚異とは、私たちが言葉を交わし合っているというそのことである:「語り」についての分析の終わりに

私たちは前回までの記事で、ハイデッガーの「語り」論について見ておかなければならない論点をたどり終えた。最後にあらためて確認しておきたいのは、この「語り」論が、いわば二つの理念的なモメントによって構造化されているという点にほかならない。 ①「…

言葉が語られるただ中で、口をつぐむこと:『存在と時間』の沈黙論の内奥

「互いに共に語りあっているときに沈黙する者は、語が尽きないひとより本来的に『理解させるようにする』こと、つまり了解を形成することが可能である。」(『存在と時間』第34節より) 人間同士が本来的な仕方で語り合うときには、互いが互いの言っているこ…

返信が来るとき、来ないとき:沈黙について考えるための予備的考察

沈黙することについては、以下のハイデッガーの言葉を手かがりにして考察を進めてゆくこととしたい。 「おなじ実存論的な基礎を、語ることのもうひとつの本質からする可能性、すなわち沈黙することが有している。互いに共に語りあっているときに沈黙する者は…

聞くことと読むこと、あるいは、師と弟子をめぐる考察(付:『存在と時間』の読解を始めてみて思うこと)

「すでに理解している者のみが、耳を傾けることができるのだ。」(『存在と時間』第34節より) 聞くことと「語り」、「理解」をめぐる論点は哲学を学ぶ人にとって、非常に重要なものである。というのも、哲学を学ぶとはある意味で、他者の言葉に耳を傾けるこ…

他者の言葉に、真剣に耳を傾けるとき:「理解」と「語り」をめぐる一論点

次のハイデッガーの言葉を手がかりに、他者の言葉を聞くという行為について考えてみることにしよう。 「語ることと聞くこととは理解にもとづく。理解は、多くを語ることからも、忙しく聞きまわることからも生じない。すでに理解している者のみが、耳を傾ける…

「語りが外へと言表されたものが、ことばである」:ハイデッガーの主張の射程

生そのものを分節化する契機である「語り」は、私たち人間の存在を、その最も深いところから形づくっている。 すでに見たように、内存在、すなわち、世界のうちに人間が住まうその住まい方は、「情態性」と「理解」によって特徴づけられる。人間は気分づけら…

世界内存在の「深い奥底」:本来的な仕方で、言葉を語るために

私たちが生きている日常の生の世界は常にすでに、分節化されている。たとえば、音を聞くという経験にしてからが、すでにそうである。 「『さしあたり』私たちが聞くのは、騒音や音のざわめきではだんじてありえない。軋む車であり、オートバイである。ひとは…

世界の方へ、意味の深みへ:言葉の実存論的基礎を求めて

前回までの分析において、言明は「伝達しつつ規定する提示」として示されることになった。言葉は①提示し、②規定し、③伝達するという、比類のない力を備えている。しかしながら、いまや次のハイデッガーの言葉を手がかりにしつつ分析の進む方向を向け変えて、…