イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

2020-03-01から1ヶ月間の記事一覧

プラトンとアリストテレス、その現代への影響

論点: 師の言葉は、弟子がそれを間違っていると思うときであっても、往々にして正しい。 恐らくこれは、哲学を学ぶ時にはこの上なく重要な論点であろう。 ホワイトヘッドが哲学の世界では有名な言葉を残していて、それは「哲学って、要するにプラトンとアリ…

「我もいつかは……。」

論点(再提示): 師は、弟子よりも先に死ななければならない。 おそらく、哲学の道を歩んでいる者にとっては、著作をまとめるというのはやらねばならぬと同時に、できるならば避けたい仕事であろう。 探求とか勉強って、やればやるほど深まってゆくわけで、…

「存在の超絶」と、レヴィナスとの関係

論点(再提示): 師は、弟子よりも先に死ななければならない。 手前味噌な話にはなるが、筆者は昨年の十二月頃から、「存在の超絶」というイデーを掘り下げることを試みている(興味をお持ちの方は、この時期の記事を参照されたい)。 自分一人で言ってても…

『全体性と無限』を書いた時期のレヴィナス、あるいは、二十世紀哲学史あれこれ

論点(再提示): 師は、弟子よりも先に死ななければならない。 ハイデッガーについてはすでに前回書いたから、もう一人の師についてもここに書き記しておくこととしたい。筆者はここ数週間、エマニュエル・レヴィナス先生の『全体性と無限』を読み直してい…

『存在と時間』を書いた時期のハイデッガーについて

論点: 師は、弟子よりも先に死ななければならない。 師は、なぜ偉大なのであろうか。それは究極的には、師が弟子よりも先に生き、生きるということはどういうことかを自分自身の目で先に見てきたからに他ならないのではないか。いやほんと、これってそうな…

他者のうちで生き続けるということ

論点: もしも、わたしが他者に対して善をなすとすれば、その善はわたしの死を超えて「生き残る」であろう。 哲学徒であるわれわれとしては、やはり哲学に例をとることにしたい。他の人々からは異なった意見も出るであろうが、われわれにとっては、哲学をす…

存在の超絶へ

ここまでで出てきた結論は、次のようなものである。 問い:哲学者は死について、どのように考えるべきか? 答え:哲学者は死から目を背けることなく、天から自分に与えられた務めを果たすことに努めるべきである。 哲学を学んでいる人ならばわかるように、こ…

ラーメン屋のおじさんの思い出

論点: いつか死ぬということを心に留めるとき、人間にできるのは、ただ天から自分に与えられた務めを果たすことだけである。 たとえば、僕個人の例でいえば、ここでこうして二日に一回ひとりで語り続けているのは、僕はこれが自分に天から与えられた務めな…

「君がいま学んでいることが、いつの日か……。」

論点: 真理は、人間の生を善へと導くことができるはずである。 この点についてだけは、筆者は以前よりも確信が深まってきているのである。まあ、その確信なるものも実はたんなる妄想でしかなかったという可能性もなくはないのではあるが、それでも哲学が人…

力なるものの魅惑

論点: 真理は知識と防衛のために用いるべきであって、攻撃のために用いるべきではない。 要するに一言でいえば、「ダークサイドは避けるべし」ということに尽きるのである。この点から言うと、哲学の観点からいって常にどこかで警戒し続けねばならぬのはや…

ハイデッガーの「偉大さ」とその影

論点: 美には賛嘆の声をあげることを惜しんではならないとともに、警戒を怠ってもならない。 マルティン・ハイデッガーは、哲学のど真ん中を突き抜ける当時最強の哲学書(『存在と時間』)を書き上げたが、その後にはナチスという暗黒面へと堕ちてしまった…

『存在と時間』の美

引き続き、真理と超越という主題について考えてみたい。全然関係ないけど、僕も、これを読んでくださっているみなさまもどうか、かのコロナウイルスの見えざる脅威から守られんことを……。 論点: およそ真理なるものには、美という紛うことなき徴標が付随し…

「それよりも優れたものがありえぬような適合性」

論点: 真理の審級は、私たち一人一人の人間を超越している。 「哲学者の仕事とは真理を言葉にもたらすことである」ということで、しばらくはこの真理なるものについて考えてみることにしたい。 誰でも、人間ならば年を重ねるうちに「人生ってこうだよね」と…

プロの領域

論点: 哲学者が隣人に、そして人類の共同体に贈ることのできる固有のものとは、真理の言葉に他ならないのではあるまいか。 貧者にパンを、病人に癒しをというのは、他者に与えることのできるものの中でも最も重要なものの一つであろう。また、愛する人の贈…

聞いてくれてありがとう

論点: 哲学とはその営みの本質からして、若者に呼びかけずにはいられないという宿命を背負っているのではあるまいか。 ソクラテスがアテナイの若者たちと対話することをこよなく愛していたという古典的事実(定番中の定番に勝るものなし)は、そのことの端…