2017-10-01から1ヶ月間の記事一覧
前回に論じた、見知らぬ他者の苦しみをめぐる原理的なアポリアは、ある根源的な感情をめぐる問題につながっているのではないか。 「私たちは、罪悪感なしに生きてゆくことが可能だろうか。」 ここでは、サバイバーズギルトという概念を導入したいと思います…
この辺りで、倫理をめぐる原理的なアポリアに目を向けておいた方がよいかもしれません。 「倫理は、不可能にも見える贈与を行うことを人間に求める。」 これまで、見知らぬ他者の苦しみに対して何ができるのかという方向で探求を進めてきましたが、この方向…
本題に戻ります。 「たとえ、見知らぬ他者の苦しみがわたしには全く関係のないものであっても、わたしはその他者にできることをした方がよいのではないか。」 すでに論じたように、わたし(私たち)が自分でも知らないうちに他者を傷つけている可能性はある…
ここで少し話題はそれますが、次の点について論じておくことにしたいと思います。 「現代の人間は、倫理的なエゴイストとして生きるという可能性にさらされているのではないか。」 倫理的なエゴイストという言葉で、ここでは、何が正しいかを知ってはいても…
前回の論点をもう少し補足しておくことにします。 「暴力は、見えないところで振るわれる。」 前回に挙げた例でいうならば、近世ヨーロッパの人びとは、自分たちが急速に獲得しつつある豊かさが、黒人奴隷をはじめとする多数の見えない他者たちの犠牲の上に…
それにしても、苦しんでいる見知らぬ他者を助けたほうがよい理由とは何だろうか。その根拠はさまざまに考えられますが、まずは次の点を挙げることができるかと思います。 「その他者は、私たちのことが原因で苦しんでいるかもしれない。」 たとえば、精神の…
ここでは、二択の状況を二組提示することで議論を整理してみることにします。 渇望をめぐる二択: 1.わたしは、他者を求める。 2.わたしは、他者を求めない。 この二択のうちのどちらを選ぶかは、それぞれの主体の自由に任されています。たとえば、筆者自…
今回の探求で検討したいのは、次のような言明に他なりません。 コナトゥスの自己表明: わたしは、わたしに生まれてよかった。 この家族に生まれてよかった。 この国に生まれてよかった。 まず最初に確認しておきたいのは、こうした言明のうちにはもちろん、…
考察をはじめるにあたって、まずは次の点を確認しておくことにします。 「苦しんでいる他者は、現実に存在する。」 わたしもあなたも知らないところで、苦しんでいる人がいるのではないか。このように言った時には、当然、次のような返答もありうるものと思…
ところで、他者をめぐる問題には、わたしとあなたという二者関係を越え出ずにはいない側面があるといえるのではないか。 「世界には、わたしの知らないところで苦しんでいる人々が無数に存在する。」 わたしとあなたということであれば、対話することが、互…
そろそろ、無意味からの出口としての他者という当初の主題に立ち返ることにします。 「わたしはある意味で、あなたには永遠に到達することができない。」 他者であるあなたは、わたしの意識を超えています。したがって、わたしには、わたしの意識に映るあな…
「哲学の務めのひとつは、人間に立ち止まることを教えることにあるのではないか。」 存在するという語についていえば、この語のうちにはらまれている底知れない深みのうちに分け入ってゆくためには、日常のあわただしい流れから身を引き離してみる必要がある…
「哲学者の生とは、ある面から見れば、存在という語への態度の変化のプロセスであるといえるのではないか。」 人生のうちで死と別れの経験をくり返すうちに、哲学者の心の中では、ある問いかけが重ねられてゆくことになります。 かつて「ある」と思っていた…
話題が愛の関係に及んだので、この機会に次の点について考えておくことにします。 「私たちの生は、別れの連続にほかならない。」 わたしと彼とは、一体どこですれ違ってしまったのだろう。互いに友でありつづけることなど当たり前だと思っていたのに、気が…
傷と痛みについて考えつづけていると、ひとは次のようなイデーに捉えられずにはいないのではないかと思われます。 「わたしの生は、根源的に、わたし自身の自由になるものではない。」 わたしの生の方向を決定づけることが大きいのは、喜びよりもはるかに痛…
無意味からの出口としてのあなたの存在を知るとき、わたしは、それまで気づくことのなかった事実にあらためて気づくことになります。 「世界には、わたしの他にも苦しんでいる人々が無数にいる。」 おそらく、人間は、自分自身が何らかの形で苦しんだことが…