イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

2018-04-01から1ヶ月間の記事一覧

休息と感謝

しばらくゆったり書いてみようと思っているのですが、書くことが特にありません。いずれ論じたい主題はいくつかあるのですが、しばらくは具体的なテーマを決めずにつらつらと書いてみてもいいかなという気がしています。 気がついてみると、もうゴールデンウ…

メンテナンスの次元

話が逸れたついでにはなりますが、筆者は四日前の雨の日に、このブログのためにコンビニで料金の支払いをしてきました。 このはてなブログには、「はてなブログPro」なるアップデート・ヴァージョンが存在しており、月額1000円弱を支払うとブログをそのヴァ…

三年間たってみて

前々回、前回と教育について少し書いてみて、この後も記事の中で考えつづけてみようと思っていましたが、どうもそれは時期尚早なのではないかという気がしてきました。 「よい教育とは何か」という問いに答えを出すには、まだ経験が足りなさすぎることは間違…

教育の問い

ところで、これから教育という仕事にあらためて打ち込んでゆくということになると、次の問いが以前よりもくっきりと浮かび上がって来ざるをえません。 「よい教育とは、どのようなものであるべきか。」 これはある種の応用問題であるようにも見えて、実は哲…

最近の状況

しばらくただひたすらに哲学の議論を続けてきたので、少し自分自身の近況についても書いておくことにします。 ここ3〜4ヶ月の間に人生が動き、とりあえず向こう数年は教育の仕事に携わることになりそうです。以前と変わらず、個別指導で小学生〜高校生と関わ…

デスノート問題についての考察の終わりに

今回の探求の終わりに、次の点を確認しておくことにします。 「人間の行動を最終的に決めるのは、決断の瞬間における一種の狂気に他ならない。」 デスノート主義の切迫性と説得力を認めたうえで、最後のところでそれを受け入れることはしない。それが、デス…

この世を変えるものは

筆者がデスノートの使用に反対する理由の一つには、次のものがあります。 「この世は、一人一人の小さな努力によってしかよくならないのではないか。」 もちろん、システムを変えたり大きな事業をなしとげたりといったマクロなレヴェルでの変革も重要である…

デスノート使用への反対論

デスノートの使用に反対する論を少しだけ展開するにあたって、次の点をあらためて強調しておくことにします。 「この世は、不公正に満ちている。」 筆者自身がこの不公正に日々参与しているため、あまり声を大にしては言えないところですが、この点について…

「新世界の神」

そろそろ、今回の探求の暫定的な結論を出しておくことにします。 「デスノート問題はつまるところ、人間には例外者として振る舞うことが許されるかという問いに帰着するのではないか。」 ここではデスノート主義者の(暗黙の)論理にしたがって、倫理的な主…

ボンヘッファーと、ヒットラー暗殺計画

前回の論点に関連して、取り上げておきたい歴史上の出来事が一つあります。それは、20世紀ドイツの神学者であったディートリッヒ・ボンヘッファーによる、アドルフ・ヒットラー暗殺未遂事件です。 ここでは詳細に触れることは控えますが、ボンヘッファーは第…

カントに抗するマキャヴェッリ

夜神月のような特異な人物が倫理のあり方を揺るがす地点に踏みとどまりつつ、もう少し検討を加えてみます。 倫理的判断についての二択: 1. ある行為についての倫理的判断は、その行為がもたらす結果とは関係なくなされるべきである。(コモン・センスの立場…

原作への反応

正義の次元の切迫性について考えてみるとき(前回の記事を参照)、次の問いはいよいよクリティカルなものになってくるのではないか。 「新世界を到来させるために成功した場合にも、デスノートを使って人を殺したことは罪とされるのだろうか。」 これまで控…

正義の次元

デスノート主義者の主張を、エマニュエル・レヴィナスの議論を念頭に置きつつさらに掘り下げてみることにします。 1. それぞれの人間の命は、かけがえのないものである。(他者への無限責任の次元) 2. しかし、現実においては、人間は何らかの暴力性をはら…

地球で毎日起こっていること

命の代替不可能性という反論は強力なものですが(詳細については前々回と前回の記事を参照)、デスノート主義者からは、次のような再反論がありうるように思われます。 「確かに命はかけがえのないものではあるが、そのかけがえのない命が誰かの手によって毎…

一人の人間は、世界との関係において……。

前回の論点を掘り下げるために、次のような状況を考えてみることにします。 「世界を滅びから救うために、一人の人間を殺すことは正当化されうるか。」 これはかなり非現実的な状況であることは間違いありませんが、「思考実験 Experientia mentis」は哲学の…