2019-07-01から1ヶ月間の記事一覧
友情のディープ・フェーズ: 友情はその追求の過程のただ中において、友のうちに一人の異邦人を発見する。 友情とは互いの存在を受け入れ、分かち合うことだとすれば(前回の記事参照)、友と関わる人間は、遅かれ早かれ、どこかの時点で友のうちに〈同〉に…
以上の議論を踏まえた上で、最初に提起した「友情とは何か」という問いに答えてみることにしましょう。 友情の本質: 友情とは、互いの存在を受け入れ合い、分かち合うことである。 親密圏とは力能の論理ではなく、存在の論理が働いている圏域のことです。場…
ヒューマニズムの「裏面」: 人間であることは、その本質において困難な課題であると言わざるをえない。 〈他者〉への欲望は人間にとって、非常に厄介な重荷にもなりえます。そもそも、喜びと苦しみはいつでも紙一重のところにあるものなので、人間存在が現…
問題提起: 私たちは、私たち自身の友情と愛情に関して、あまりにも早く諦めすぎているのではないだろうか。 人間関係の現実とは、互いに対する幻滅と倦怠の連続です。期待は裏切られ、初めの頃の純粋な喜びは、関係が長く続くにつれて、現実への忍耐に場所…
もう一つの問題提起: 同じ目標を持ち、人生の同じ道を歩む時にこそ、友情は最も深く、最も強固なものとなるのではないだろうか。 もちろん、ことなった道へ進む相手とも親友になることは可能です。また、実人生においては、少し違った道を歩んでいるくらい…
問題提起: 哲学の営みはその本質からして、公共圏よりもむしろ親密圏の方に属するのではないか。 哲学は決して欠くことのできない要素として、友を必要としています。それというのも、哲学の対話というのはどこかで、「わたしとあなたの間で語られる、秘密…
友情の「場所性」: 友情は、それが結ばれる人間同士の間に親密圏を作り出す。 私たち人間がその中で生きている社会なるものは、公共圏の働きなしには維持・運営されることができません。学校や仕事場、あるいはお店や役所といったようなさまざまな場所は、…
問題提起: 哲学徒が必要としているのは単なる友ではなく、魂の友なのではないだろうか。 ものの見方が異なる友人を持つことは、確かに人生に豊かな彩りを与えてくれます。しかし、親友、あるいは人生そのものを共有できるような、魂の友とも呼べる存在とな…
友情に関する一事実: 共有するものを持てば持つほどに、友との友情は深まってゆく。 したがって、もうこれ以上共有するものがないという場合には、共有コンテンツをゼロから作ってゆくという選択肢もありえます。たとえば、一緒に旅行に行ったり、何かを共…
友について考える上で示唆深い一事実: SNS上でのコミュニケーションのあり方は、人間が〈同一なるもの〉の共有にしたがって共同性を形作ってゆくことを示している。 「存在の家」たる言語を仔細に検討することは、物事について知る上で最も有効な方法の一つ…
望ましい友の条件: 望ましい友とは、本音で語り合うことのできる友のことである。 たとえば、あなたが、ずっと年長で高名な学識者と話をする機会を与えられたとします。 その場合、あなたは彼あるいは彼女との対話から非常に多くのものを受け取ることでしょ…
問題提起: もしも友を持つことがなかったならば、人間は病むほかないのではあるまいか? 上のような意味からすると、友の存在は、空気や食べ物の存在にも似ています。そのことはたとえば、海外生活を体験した人にはより容易に納得されることかもしれません…
探求者へのコメント: 友だち、別に欲しくないんですけど。 上のようなコメントに対しては、とりあえず今回の探求においては、次のように回答するほかなさそうです。 回答: 今回は、「友は望ましいものである」をとりあえず前提とさせていただきたい……! 友…
今回の探求の主題: 友とは何か?そして、人間はこの世において、友とどのように付き合ってゆくべきか? およそ、世の中に友人を必要としていない人はいません。しかし、それに比して、友という存在に対する考察の方はといえば、実は驚くほどに数が少ないと…
「……今日も休みなんですね。」 うむ。しかし、次からは必ず始めたいと思っている。しかし、始めたのちに記事がボツって更新停止なんてことになりかねないと思うと、ちょっと怖いのである。だが、もはや気にせず、あさってからは始めてみるしかない……びくびく…