イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

2016-01-01から1年間の記事一覧

大みそかに希望を

ここのところ記事の内容がやたらに暗くなってしまい、申し訳ありません……。 哲学のアンダーグラウンド計画がこんなにも早く危機に瀕し、人生の道もブログすらもブレにブレまくっており、大みそかだというのにわけのわからないことになっています。これはもは…

「……考えてみた?」Take2

「……考えてみた?」 うん。いろいろ考えたけど、やっぱりこの世のことは、いったん全部あきらめることにするよ。 「……。」 いや、ふてくされるわけじゃなくてね、変に頑張ろうと思うと、僕はまた自分で心身を壊す気がするんだ。自分でもコントロールがきかな…

「……考えてみた?」Take1

「……考えてみた?」 もちろん、考えてみたよ。でも、もうどうしようもないよ。去年にぶっ倒れて、一年かけてやっと回復して、もう一度頑張ろうとしたら、すぐまたぶっ倒れたんだもの!昨日は、ふとんに食べられる夢をみたよ……。 「……。」 もういいんだ、ピノ…

この人生の目的

三日のあいだ考えてみましたが、やはり、問題のひとつには、このブログにおいて自分の人生の目的をはっきり書いておかなかったことがあるようです。 「イエス・キリストのことをこの世に伝える。」 前回の記事で少し書きましたが、僕は今年の2月か3月に、…

深夜に目が覚めて

なんか、思い出したよ。 「何を?」 今年の2月だか3月だか忘れちゃったけど、アルバイト先から電車で帰ってるときに、「僕はこの世に生まれてくるべきではなかった」って、本気で思ったんだ。そういう風に考えちゃいけないっていうのも思ったけど、その時…

これ以上できません……。

この文章を書いてるのは、12月9日、AM8:07だ。今日も、食道炎のせいで二時間も寝れなかったんだ、ピノコくん。ショパンを聞く気にすらならず、ただ部屋で布団にくるまって、絶望していた……。 「……。」 やっと気づいたんだ。僕は、何もできない人間なんだ。何…

ごめんよ、ピノコくん

「あれ?どうしたの。」 ピノコくん。君も知っての通り、前回の記事を書いたあと、僕はもう一度、心身ともにぶっ壊れた。やっぱり、この一ヶ月くらいのあいだ、例のアンダーグラウンドのことで頑張りすぎたんだと思う。僕はどうやら、自分で言ったことのせい…

クリスマスと心身崩壊

そろそろクリスマスと年末が近づいていますが、じつは、筆者はこの師走の前半に、心身崩壊の危機に襲われていました。 きっかけは、前回までのアンダーグラウンドについての探求です。「一点突破してみせる!」と興奮しまくったあげく食道炎を悪化させ、最後…

アンダーグラウンドについての探求のおわりに

前回までで書きたかったことはすでに書き終えたので、今日はお休みの意味もかねて、短く記事を閉じることにします。出演してくれたジェイコブさん、ゆたさん、Tさん、そしてピノコくん、今回はありがとうございました! LES DEMERLE / UNDERGROUND シリーズ…

「それで、結局?」

「それで結局、philoは世に知られたいの、知られたくないの?」 そりゃTさん、本音を言えば、いつかは知られたいですよ!でも、だんだんわかってきましたが、これは本当に雲をつかむような話です。遠くに見えてる蜃気楼を、砂漠で一生追いかけて終わるよう…

どうしても伝えたいこと

三浦綾子さんのエピソードを聞いたことが一つのきっかけとなって、数日のあいだ考えつづけてみましたが、やはり、このあたりでもう一度決意を固めておく必要がありそうです。 書いたものを他の人に読んでもらいたいと思うからには、どうしても伝えたいことが…

最後の三浦綾子さん

日々は流れてゆきますが、時おり、自分の人生の道について考えこませるような出来事も起こります。先月末には、作家の三浦綾子さんと生前に親交のあったS先生と、たまたま少しお話させていただく機会がありました。 S先生は、三浦綾子さんの後半生には、彼女…

サブウェイでいつまでも

もともとは、アンダーグラウンドで活動しながらどうやって世の中に哲学のメッセージを発信してゆくかという問いのもとにはじめたのですが、前回の記事を書いたあと、どうもよくわからなくなってしまったような気もします。 いちばん大切なのは、まぎれもなく…

命を求めつづけていたら

さて、哲学者がもしも名誉と金銭から身を引き離すことができたとした場合、その後にかれが目を真っ赤にして追い求めるものは何かといえば、それはリアルそのものとでも呼びうるものに他なりません。 リアルというこの語のうちには、実はとてつもなく深いもの…

名誉と金銭、サタンとの対決

ところで、哲学者ならば、アンダーグラウンドからの一点突破をめざすといっても、この世に認められること、売れることを第一目標に据えるわけにはゆきません。 バビロンの誘惑については、すでに前回のシリーズにおいても取り扱いましたが、アンダーグラウン…

「究極の一発逆転」

ところで、先日、このブログを通して知り合ったゆたさん(id:SHADE)とカフェで話していた時に、次のように言われました。 「philoさん。哲学者なら、生きている時はダメでも、死んでから評価されるという道もあるんじゃないですか……?」 確かに、これは哲学…

哲学業界は意外に狭い?

困難ばかり挙げていてもへこむだけなので、ここで、アンダーグラウンドで踏んばりつづける上で見過ごすことのできないポイントに注目しておくことにしましょう。それは、「哲学業界は意外に狭い」という事情にほかなりません。 10年間以上にわたって大学や出…

ラーメン屋さんと孟子の教え

ところで、哲学のアンダーグラウンドなるものについて話をしていた時に、年上の哲学徒の友人であるジェイコブさんから、次のように言われました。 「でもね、philoさん。あなたの話を聞いていたら、昔、好きだった新宿のラーメン屋さんのことを思い出しちゃ…

ピノコくんからの、手痛い一言

今回の探求をはじめるきっかけになったのは、このブログをいつも手伝ってくれている助手のピノコくんからの、次のような一言でした。 「あなたが何を主張したとしても、哲学の世界ではまともに受けとってもらえないよ。あなたは、大学院をやめただけの単なる…

お金についての考察のおわりに

前回までで、今回の探求について書きたかったことはいちおう書き終えたので、この辺りでシリーズを終えることにします。 けっきょく、大枠としてはわりとふつうな結論に落ち着いてしまったような気もします……。けれども、哲学の闘いは、概念のかぎりを尽くし…

話しにくいけれど大事なこと

哲学をすることは、真理を探求することであると同時に、隣人愛の実践を行うことにもつながっているはずだ。しかし、そうは言っても、やはり心残りは完全には消えません。 哲学は、政治や医学と同じように人間にとって必要な営みであるはずだ、という考えにつ…

筆者自身の、とりあえずの選択

テオーリアとプラクシス。真理を知ることと、愛を実践すること。この二つのことのあいだの関係についてどう考えているのか、筆者自身の今の生き方も含めて書いておくことにします。 筆者としてはやはり、これからも真理を知ることを人生の最重要課題のひとつ…

知るだけでなく、愛することを

これから書くことはあくまでも僕が信じていることなので、他の方にはまた別の考えがあるかと思います。何かの参考になればということで書いてみますが、もしよかったら、少しだけお付き合いください。 僕は哲学者として、真理を追いもとめることのうちには、…

哲学は何のためか

このあたりで、哲学者とお金の関係というはじめの話題に立ち返ってみることにします。すると、哲学者はここで、一つのアポリアの前に立たされている自分自身を見いだすことになります。 「すべてのものを振り捨てて、ただ真理だけを追い求める。」なるほど、…

帝国と政治

ネグリとハートにならって、今日のグローバルな秩序をひとつの帝国としてみることにすると、私たちは、その帝国の中心部に住んでいるといえます。中心部ではおおむねのところ、リベラル・デモクラシーと快適な消費生活が営まれていますが、周縁部では事態は…

アダム・スミスからスラヴォイ・ジジェクへ

ところで、哲学的に考えるという範囲においてさえ、コンゴの現状のような話題に言及するということには、抵抗が伴わずにはいません。「私たちのふつうの生活は、暴力によって成り立っているのではないか」という問いを立てることは、そうせずにいられるなら…

金銭の悪しき本性

コンゴのコルタンだけでなく、ナイジェリアの石油や、ニジェールのウランなど、アフリカでは、話を資源だけに限定してみても悲惨な現状を抱えているケースが数多く存在しています。けれども、ここでは議論を一般的なレヴェルに引き戻しつつ、「金銭は暴力を…

コンゴの話

話をさらに複雑にしてしまいそうですが、もう一つの論点を付け加えておくことにします。僕は最近になってはじめて、コンゴの内乱にかんする情報を知りました。 ここでの本題は哲学者とお金の関係についてなので、最低限の言及にとどめますが、アフリカのコン…

気がついたら大学を辞めていた

バビロンとドクサをめぐる問題については、哲学者として取りうる一つの選択肢を提出してみることにしましょう。それは、すでに何回か書いてきましたが、真理を求めて、荒野に旅立ってみるというものです。 もちろん、この選択肢はあくまでも案にすぎないので…

蔓延するドクサ

バビロン性の濃度不確定性問題は私たちに重大な問いを提起していますが、程度の違いからいったん視線を移して、本性の違いに目を向けることにしましょう。当たり前のようですが、哲学者として見過ごすことができないのは「利益と真理とは、切り離して考える…