2021-08-01から1ヶ月間の記事一覧
そろそろ、真理論の仕上げに取りかかることとしたい。 ① ハイデッガーは言う。道具を用いながら生活したり、ものを眺めやったりする経験において、そこで覆いをとって発見される世界内部的存在者は、第二次的な意味で「真」であるにすぎない。世界内部的存在…
ハイデッガーが『存在と時間』において、自らの真理論の核心を「アレーテイア」の語と重ね合わせたことの意味を、さらに掘り下げて考えておくことにしよう。 ① 古代ギリシア人たちが「アレーテイア」という語を通して暗黙のうちに了解していたことこそ、「覆…
根本テーゼ「現存在は真理のうちで存在している」について、さらに考えてみることにしよう。 私たちがこの四ヶ月の歩みの中で見てきた実存論的分析の成果のすべてが、今や、真理論の観点から解釈しなおされることになる。すなわち、道具を用いて生活している…
言明が真であることを「覆いをとって発見すること」と捉えるところから、『存在と時間』の真理論の、さらなる歩みが開かれる。 論点: 言明することは、覆いをとって発見することの一つのあり方に過ぎないのではないか? たとえば、ものを見るというまなざし…
「言明が真であるとは、覆いをとって発見しつつあることである」というハイデッガーのテーゼの歴史性を捉えるために、ヘラクレイトスの断片の言葉に耳を傾けてみることにしよう。少し長くなってしまうが、そのまま引用する。 ヘラクレイトスの言葉: 「ロゴ…
「言明が真であるとは、覆いをとって発見するということである。」ところで、ハイデッガーのこの主張に対しては、次のような反論がなされることは避けられないものと思われる。 ハイデッガーへの反論: 哲学のこれまでの伝統を、そんなに簡単に振り捨ててし…
言明の真理と論理学の関係について、もう少し考えてみることにしよう。 アリストテレス以来ほとんど進歩していなかったと言われる論理学が19世紀後半に入ってから急速な発展を遂げたことは、よく知られている。「命題関数」というアイディアを核にしたゴット…
さて、「壁にかけられた絵」の例の分析も、いよいよ大詰めである。 「壁にかけられた絵が曲がっている」という言明は、何を行っているのだろうか?もちろん、現実に存在する事物である壁の絵について、何ごとかを語っているのである。それでは、そもそも語る…
現象学、そして『存在と時間』において賭けられている根本の問いとは、次のようなものであると言ってよいだろう。 問い: 見ること、そして、生きることは、何か真実なものに関わる経験であるのでなければならないのではないか? もしもこの問いに対して「否…
「確証とは、存在者がじぶんとひとしいありかたにおいてじぶんを示すことを意味する。確証は存在者がじぶんを示すことにもとづいて遂行されるのだ。」(『存在と時間』第44節aより) おそらくここは、しっかりと議論を詰めておくべきところである。20世紀哲…
ハイデッガー自身が挙げている「壁にかかっている絵」の例に即して、以下の主張について考えてみることにしよう。ちなみに、この例は『存在と時間』第44節の真理論が語られている中で挙げられている、唯一の具体例である。したがってこの例は、どこまでも深…
ハイデッガーの真理概念に話を進める前に、まずは、伝統的真理概念「物と知性との一致」の内実を確認しておかなくてはならない。ハイデッガーはこの内実を、以下の三つのテーゼに要約している。 1 真理の「場所」は言明(判断)である。 2 真理の本質は判断…
いま論じている問題は非常に重要なものであるため、一歩一歩、じっくりと進んでゆくこととしたい。ハイデッガーも引用しているアリストテレスの言葉から、「哲学の原初」についての、古代ギリシア人自身の証言をたどっておくことにしよう。アルケー、すなわ…