イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

2019-12-01から1ヶ月間の記事一覧

幸福と身代わり

論点: 他者であるあなたもまた、わたしと同じように、人間であることの有限性を免れえないであろう。 わたしは考える意識であるのと同時に、他の誰でもない「この人間」でもある(二つ折れの与え)。同じように、他者であるあなたもまた、わたしを超絶した…

超絶と証言

論点: 他者の存在はわたしを超絶しているが、それでも、何もかもが知りえないというわけではない。 ここからは「存在の超絶」を前提とした上で、他者について知りうることについて探ってみることにしたい。というのも、他者の超絶という事態のうちに含まれ…

モラリストの危険

「存在の超絶」からの論理的帰結: 他者についての知は、原理的に言って不完全なものであることを運命づけられている。 他者の意識は、わたしの意識を超絶したところに「存在」する。どんな知も、わたしとあなたの間のこの隔たりを完全に埋めあわせることは…

絶対知の不可能性

論点: 他者の意識は、論証も証明されることもなしに厳として存在し続けるであろう。 他者であるあなたが哲学的ゾンビ(前回までの記事参照)ではないということは、理論的には証明できない。しかし、その証明不可能性にも関わらず、あなたが存在するという…

乗り越え不可能な隔たりについて

補助的考察: わたしとあなたには、互いがそれぞれ哲学的ゾンビではないことを「証明」するためのいかなる手段もない。 もちろん、わたしとあなたには会話することで、お互いに哲学的ゾンビ(クオリアを持たない「生ける屍」)ではないであろうとの見込みを…

いわゆる哲学的ゾンビについて

存在の超絶: 他者の意識は、あらゆる論証や証明の不在にも関わらず、厳として存在する。 他者であるあなたの意識は、わたしには直接に知りえない。したがって、あなたの意識なるものが存在するかどうかも、厳密に言えばわたしには決してわからないのである…

存在の超絶と非-現象学

論点: 「存在の超絶」は意識の彼方を指し示す限りにおいて、非-現象学を要求している。 他者の意識は、わたしの意識からは隔絶して存在している。他者である限りの他者は、その本質から言って、決してわたしの意識に現れることがないのである。 他者である…

存在の超絶

存在の超絶: 他者の意識は、わたしのあらゆる類推と想像を越えるところに存在する。そして、わたしには厳密に言うならば、決してあなたの意識に到達することはできない。 この「存在の超絶」からは、数多くの論点を引き出すことができそうである。たとえば…

名前の正しさをめぐる議論

重要な論点なので、ここは丁寧に論じておくこととしたい。 論点: 哲学とは、存在を言語によってそのあるがままに言い表そうとする、終わることのない営みである。 レヴィナスのような哲学者であれば、上のような哲学の定義に対しては強く反対することであろ…

「存在する」という語の使用をめぐって

ここで少しだけ立ち止まって、改めて考えてみる。 レヴィナスが他者について「存在するとは別の仕方で」という表現を用いたのは、なぜだったのか。すでに見たように、そこには他者の超越というモメントにおけるその超越性を、決して見落としてはならないと彼…

レヴィナスへの疑問

論点: 他者の意識は、わたしの意識からはどこまでも隔絶したところに「存在」する。 エマニュエル・レヴィナスは他者のことを、「存在」ではなく「存在するとは別の仕方で」として捉えようと努め続けた。それは、わたしに対する他者の超越の、その超越性に…

認識論の挫折

論点: 他者の存在は、明証性に依拠して認識の生を送るコギトにとっては、ある意味では隠れたものであり続けるであろう。 自明ではあるが、重要な事実から考えてみることにしよう。わたしにとってはただ、わたしという意識だけが与えられているのであって、…

形而上学と倫理、あるいは、独我論の崩落

論点: 形而上学と倫理とは一つである。 隣人を自分自身のように愛するって、一つには、相手をそのあるがままの姿にも関わらず愛するってことである。 これって結局は、相手の存在をそのまま受け入れるってことではないか。そして、そのことは、つまるところ…

存在と純粋愛

論点: 「存在のみ」の次元は、純粋愛の問題を提起せずにはいないように思われる。 あらゆる力能を奪われ、ただ生きている、ただ存在しているという状況に置かれた時、人間は、次のような問いに直面せざるをえないのではあるまいか。 問い: 純粋愛は存在す…

現代のカリクレス

論点: 哲学は存在忘却が存続する限りにおいて、力能との闘いを停止することはないであろう。 「できる」は、もっと言えば「する」は、この世の至上の関心事である。しかし、哲学はそれよりも先に、無力なる「ある」の方にこそこだわり続けねばならぬ。 「コ…

力能と存在忘却

そろそろ、話も大詰めに差しかかってきた。 論点: 力能の問題は通常、二つ折れの与えに対する一種の遮蔽幕として機能している。 二つ折れの与えとは、存在の与えである。だが、この与えがまさしく「与え」として与えられていることは、普段は忘れ去られてい…