イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

2020-12-01から1ヶ月間の記事一覧

今年の歩みを振り返る

年も終わりなので、今回は問題の考察をいったん中断して、今年の歩みを振り返っておくこととしたい(次回からは、また考察に戻る予定である)。 2015年に開始したこのブログでは、2019年の2月頃から本格的に哲学の問題に取り組むことを始めて、今に至ってい…

言語活動を事実的な与えのうちで考えるという、実存論的な課題について

論点: 認識の主体であるわたしを超える他者の実存は、その他者の表現を通して明かされる。 他者は行為によって、また、その他者が芸術家である場合には、色や音や何らかの形態を伴う作品によって自らを表現することもあるだろう。しかし、人間が人間である…

言葉と実存

言語に関する省察を、さらに進めてゆくことにしよう。 論点: 人間は言葉によって、互いの実存について語り合う存在である。 人間の言葉は、この世界のうちに存在する物や、起こっている出来事について語るというだけではない。言葉は、その言葉を語る人間自…

理解と無理解のあいだで

問い: 言葉を語っている他者のうちで行われている意味作用は、認識の主体であるわたしに対して十分に透明になっているか? 注意しなければならないのは、コミュニケーションの透明性という問題については、「透明に見えること」と「本当に透明であること」…

「究極的に透明なコミュニケーション」

『パイドロス』に敬意を払いつつ、パロール(話し言葉)とエクリチュール(書き言葉)の対比をもう少し進めてみることにしよう。 論点: パロールにおいてはエクリチュールの場合とは異なり、コミュニケーションの透明性を高めてゆくことが原則として可能で…

エクリチュールを再び批判する

論点: 言語活動の本質は、書き言葉よりも話し言葉のうちにこそより十全な仕方で体現されうるのではないか。 哲学の営みは、哲学史の中で眠り込んでいる概念を目覚めさせ、それを新たな舞台の上で再演するという作業を含んでいる。プラトンが指摘した上の論…

言語活動と超絶の次元

論点: 心の内側に語らずにはいられない言葉が溜まってゆく時、超絶の次元が立ち現れてくる。 言語活動の本質について考察を深めるために、さらに考えてみることにしよう。認識の唯一的な主体であるわたしが世界のうちで喜びや苦しみといったさまざまな感情…

聞かれないはずの言葉が、聞き取られるならば…。

論点: 言葉の経験とは、本来は伝わらないはずのものが伝わる経験なのではないだろうか。 他者であるあなたが、言葉を語る。その時にそこで起こっているのは、本来ならば決して起こらないはずの出来事なのではあるまいか。 あなたの「わたしはある」は、わた…

言葉の経験

論点: 他者が他者自身の姿においておのれを告げる経験とは、もしもそのような経験がありうるのだとすれば、まずもって言葉の経験であるのではないだろうか。 他者は顔の表情や身ぶり、そして行為によっても自身を語っている。しかし、人間である限りの彼あ…

孤絶が事実として破られるとき

論点: 他者の認識に関する事実的な与えは、もしその与えが本当になされるのだとすれば、その時には、モナドの孤絶を中断させずにはおかないのではないか。 ライプニッツの表現によるならば、「モナドには窓がない。」すなわち、認識の主体としてのわたしは…

事実的な与えについて

論点: 他者についての認識は、事実的な与えとして与えられるほかないのではあるまいか。 認識の主体であるわたしには、他者であるあなたの意識を直接に知ることは決してできないけれども、わたしがあなたについて知ることは何一つないというのも、言うまで…

確実性と事実性

論点: 他者であるあなたの心の存在をめぐる真理については、確実性ではなく、事実性という語をもって語られねばならない。 近代哲学の伝統においては、真理は確実性というタームと切り離すことができない仕方で語られてきた。ここで確実であるとはすなわち…

他者の「存在」の捉えがたさについて

これまで考えてきたことを踏まえて、以前に指摘した論点を、より根源的な視点から論じ直してみることとしたい。 論点: 他者であるあなたの意識は、認識の主体であるわたしの意識を超えたところに「存在する」。 他者であるあなたは、存在している。そして、…

「あなた」のうちで命を知ること

前回の論点をさらに掘り下げてみることにしよう。 論点: 人間にとって他者を知ることは、自分自身の命を知ることにも等しい意味を持つ。 これまで見てきたように、自己自身であることが本当は他者による承認の次元によって成り立っているものであるならば、…

「他者のいない世界」、あるいは、気づかれることのない残酷さについて

論点: 人間にとって、自己を超絶する他者との関わりは、命の次元そのものを成り立たせるものなのではないだろうか。 たとえば、「わたしは一人でも生きてゆくことができる」といった主張は、実際にはその人が公共世界、すなわち、人間たちが形づくる世界と…

幸福の概念について

論点: 哲学には、幸福の概念を手放すことはできないのではないだろうか。 幸福になるのは野蛮なことなのではないかと考え始めていることはおそらく、一面においては現代の人間の倫理的な進歩をしるしづけているのだろう。 私たちは、苦しんでいる他者が存在…