イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

2020-11-01から1ヶ月間の記事一覧

「あたかも最後に残された自由の方へと、身を投げるように……。」

論点: 究極的孤独とは、言葉の厳密な意味における「死に至る病」である。 以前にも少し書いたように、哲学者としての筆者の仕事はおそらく、哲学の営みそのものが燃え尽きたかに見える廃墟の中から、打ち棄てられてはならないものを拾い上げ続けつつ思索す…

超絶を超絶として思惟するという形而上学的課題について

論点: 人間が超絶を渇望せざるをえないことの必然性は、論証あるいは演繹の対象にはなりえない。 認識の主体であるわたしを超絶する他者とわたしとの関係は、その本性からして当然、わたしの意識の内側にはおさまりきることがない。だからこそ、たとえわた…

承認から超絶へ

論点: 究極的孤独の状態は人間であることの条件を、いわば逆側から照射する。 自明ではあるが、根源的な実存論的事実から出発することにしよう。それは、人間には、自分自身で自身に対して承認を与えることはできない、ということである。 すでに論じたよう…

究極的孤独の概念について

論点: 原初的承認の次元も機能しない時、人間は、究極的孤独という深淵に向き合うことになる。 公共世界、すなわち、同胞であるはずの人間たちが形づくる世界の中では生きてゆくことができなくなった人間にとっては、「救い手である誰か」によって承認して…

原初的な承認について

論点: 人間は互いに承認しあうことによって、自分自身が世界に存在することの根拠と赦しを与えあっている。 わたしにとって、他者たちの意識の存在は絶対的な明証とともに証明できるような類のものではない(前回の記事参照)。けれども、言うまでもなく、…

「モナドには窓がない」

論点: 他者の意識の存在は、認識の主体であるわたしによって証明されるような類のものではない。 わたしには、人間の姿をまとって語り、まなざし、行為しているあなたを目にすることはできる。しかし、わたしにそのあなたが見ている風景そのもの、意識その…

まなざしの経験

論点: 他者であるあなたの意識は、認識の主体であるわたしの意識を超えたところに「存在する」。 「あなたはいる」、あなたは「存在する」。わたしにとって、「わたしはある」が絶対に疑いえない明証であるのと同じように、恐らくは、あなたにもあなた自身…

他者の超絶へ

論点: わたしには、他者であるあなたが見、聞き、感じていることを、直接に知ることはできない。 他者の問題について考える上では、この論点は揺るがすことのできない不動のものであると言えそうである。簡潔に言い換えるなら、わたしには、他者であるあな…

あなたをめぐる形而上学

論点: 人間として生きてゆくとは「あなたは誰であるのか」という、他者の問いの問うことへの準備を少しずつ整えてゆくことである。 コナトゥスに由来する自己中心性は生の原理そのものであるため、人間はある意味で、その生涯の終わりまで「わたしとは誰か…

運命について

論点: 人と人との出会いにはすべからく、単なる偶然以上のものに基づいているのではないかと言わせるような何物かが存在する。 おそらく哲学の言葉はその本性から言って、学的な探求の言葉と、その探求の間にときおり漏らされる感慨の表明の双方から成り立…

贈られてきた小包、あるいは関係の不可逆性について

補助的考察を続けよう。 論点: ある人がどのような人間であるのかは、その人と関わってみなければわからない。 人との関わりというのは、喩えるなら、包装された上で贈られてきた小包のようなものである。贈られてきたものの大体の形はわかるけれども、その…

モラリストと不可知論

論点: 人間関係には必ずどこかの時点で、〈同〉の原理が、それのみでは十分ではなくなるような瞬間が到来する。 誰もが知っているように、親しくなるというのはある意味では危険なことでもあって、親しくなってゆく人間同士の間では、距離も縮まってゆく分…

ハイキングと強化合宿、あるいは運命の巡り合わせについて

他者問題にアプローチするために、もう少し準備的な考察を続けることとしたい。 論点: 〈同〉がない場合には、〈同〉を新たに作り出してしまうことで、親しさが生まれることも往々にしてある。 要するに、友人だから一緒にハイキングに行くのではなく、一緒…

友愛の公理としての〈同〉

論点: 近さの関係は、〈同〉の原理によって作り出される。 口当たりのよい現代のクリシェに従うのならば「お互いの違いを知り合うことほど楽しいことはない」となるのかもしれないけれども、社交の原理としては無難であるとはいえ、それは親しい友を作り出…

他者認識の困難と、音楽の例

論点: 他者について知ろうとする際には、絶えず前面に表れ出ようとしてくる自分自身の価値評価の働きに、意識して抗い続けなければならない。 ある人を、ある人自身がそうある通りの姿において知ろうとするならば、わたしは、その人についてわたし自身の観…