イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

青年よ、地獄へようこそ

 
 「船越さん、僕は君のことが、す、す、す、好きだ。」
 
 
 高校生のA君はついに、世界史好きメガネっ子の船越さんに告白してしまいました。いささか大げさな物言いにはなりますが、この瞬間にA君の人生は、それまでとは違うフェーズに入り込んでゆくことになります。
 
 
 論点:
 人生の過程は、抗いようもなく不可逆的である。
 
 
 告白してしまった時点で、A君と船越さんとは、もう元の関係に戻ることはできなくなりました。A君は、愛を打ち明けてしまったのです。ゆで卵を生卵に戻すことができないように、二人の関係を元の友情関係に戻すことはできません。
 
 
 「これまで通り、友達でいようよ。」なるほど。実際の船越さんがそう答えたわけではありませんが、仮に船越さんがA君にそのように言ったとしても、まず間違いなく、何らかの気まずさが残ることは避けがたいでしょう。その点、「友達でいようよ」は明らかにお茶を濁してその場を取り繕うための方便でしかなく、仮に、ある男性が告白した相手の女性からそのように言われたとしたら、彼は、彼女との距離がその後にもじわじわと広がってゆき(ex.返信の遅延、絵文字あるいはスタンプの完全な消失、未読無視etc)、最後には彼女が自分の前からフェードアウトしてゆくことすら覚悟しなければならないのではないかと思われます。
 
 
 かと言って、「なーんちゃって!今の告白だけど、もちろん冗談だよテヘペロ」等々といった見苦しい言い訳を弄するとしても、言うまでもなく時はすでに遅く、逆に、往生際の悪いチキン野郎との判定を免れることは難しそうです。ここは大人しく、賽は投げられてしまったという取り消しようのない事実を受け入れるほかはないと言えるでしょう。
 
 
 
告白 友達
 
 
 
 繰り返しにはなってしまいますが、告白という行為の結果のいかんは、告白を受けた当の相手へと完全に委ねられます。告白した側には、もう事態を動かすことはできません。彼あるいは彼女には、ただ相手の返事を待つという選択肢しか許されません。
 
 
 さて、船越さんの実際の答えは、以下のようなものでした。
 
 
 「ごめん、少しだけ考える時間をもらってもいい?」
 
 
 そう言われたA君としては、何じゃそりゃ、生殺しはやめてくれようおおおぉんと叫びたくなるのも無理はないとはいえ、告白してしまったのは彼女ではなく彼の方なので、もはやどうにもなりません。強いて言えば、即OKでなかった時点でストレートに相思相愛でなかったことは確定するので、こりゃ参ったねトホホと言うしかない残念な状況であることは間違いなさそうですが、とにかく、最後の逆転を信じて「うん、わかった、ありがとう(ガチで鬱だけどそんなこと君には言えないね、うふふ)」と答えるほかありません。
 
 
 かくして、夕暮れ時の改札内へと消えていった船越さんを見送ったA君は、期限のない待ちぼうけの状態に置かれることになりましたが、彼を待ち受けている運命がロクなものではなさそうなことは、すでに彼自身も予感しているところです。さあ、A君、覚悟を決めたまえ。君の行く先、ほら、あそこに立っている門に何と書いてあるのか、君も読めない訳ではあるまい。「コレヨリ先、一切ノ希望ヲ捨テヨ」。