イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

ポップ・ソングは何をしているのか

  ポップ・ソングの魅力は、どこにあるのでしょうか。この点について探るために、ゴチエというアーティストの『Somebody that I used to know』という曲を取りあげてみることにしましょう。これはベルギー出身のオーストラリアの人が作った曲ですが、昨日の『Happy』と同じく、この曲もまたYouTubeでは6億回以上再生されています。
 
 
Gotye "Somebody that I used to know"


 
  プロモーションビデオもとてもすばらしいものだけれども、この曲がこれだけの人気を獲得することができたのは、音のもつセンスのよさが大きいと思う。これは、一度聴いただけで取りつかれてしまうタイプの曲です。オーストラリアで生まれた音楽が、楽曲のよさだけでただちに地球上のいたるところを駆けめぐる時代に生きているという、とても不思議な時代を私たちは生きています。ゴチエは、あらゆる国の若者たちに、4分間のあいだ自分の歌に耳を傾けてもらうだけの曲を生みだしました。けれども、この曲がそれほどの人気を得ることができたのは、たんに音楽的な完成度の高さによるものだけではないようです。
 
 
  この曲の魅力は、いったいどこにあるのでしょうか。それは、愛が終わってしまうという出来事にともなう情動を、楽曲が作りだすきわめて短い時間のなかに凝縮したことにあると思う。「いまは、君はただの昔の知り合い」と歌いあげるサビのメロディーラインのなかには、好きだった人が冷たく自分のもとを離れていってしまうという出来事のエッセンスが息づいている。燃えるような恋愛が向こうの意志で終わってしまうときほど、相手が冷たく感じられることはない。愛を失いつつある人は、熱を帯びていた気持ちが、とつぜんにその対象を失って激しく空中に散ってゆくのを体験します。
 
 
  コントロールがもはやきかなくなった気持ちが、破壊的なほうへ流れてゆく。愛ほど創造的なものは存在しないはずなのに、行き場をなくした愛は、相手につながることもできず、ただ感情のもつポテンシャル・エネルギーを心のなかで荒れ狂わせるしかない。「こんな風になるはずではなかったのに、なぜ・・・」ゴチエのこの曲は、誰でも聴けるポップ・ソングのなかではほとんど他に類例がないといえるほどに、この瞬間の情動をうまく捉えてしまっている。
 
 
  心が痛くなるほどの気持ち、ほかの誰にもわかってもらえないはずの気持ちを、誰もが聴ける4分間の曲のなかに詰めこむことによって、ゴチエのこの曲は世界的なヒットを獲得しました。ゴチエは、日本でいうと宇多田ヒカルにかなり近い感性をもった人だと思います。宇多田ヒカルも、ほかの誰にもわかってもらえない愛のさまざまな瞬間を、誰にでもわかってもらえるポップ・ソングのかたちに仕上げることにおいて、類まれなセンスをもっている。自分だけにしかわからいものの領域のことを私秘性の領域と呼ぶなら、ゴチエや宇多田ヒカルが試みているのは、私秘性のポップ・ソングを作りあげることにほかなりません。
 
 
   彼らが現れてくる前のポップ・ソングは、たとえ恋愛を扱うにしても、もっと外面的で、あの内に閉じこもるような感覚がなかった。どこまでもプライベートで、世界に目をそむけて内へ内へと閉じてゆくほどの情動を、誰もがいくぶんかは抱えているというのがいまの時代です。ゴチエの音は、そのようないまの時代のあり方に深く触れながら鳴っている。そう考えてみると、ポップ・ソングは、時代の流れのなかでいま新しく生まれつつある情動をとらえることを自らの使命としていると言えるのかもしれません。
 
 
  ポップ・ソングから哲学の話に移ってゆくつもりが、すでにもうだいぶ長くなってしまいました。明日は、哲学と情動の関係のほうに話を進めてみたいと思います。