イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

私たちは、まだ始めたばかり

  この一週間のあいだ、ずっと大きなことばかりを考えつづけていたために、日常に戻ってゆくのが難しくなってしまいました。ほんとうは、最近ふとしたきっかけで教えていただいた、キング牧師の最後の説教について書いてみようかと思っていたのですが、そんなことをすれば、ますます非日常の世界から抜けられなくなってしまいそうです!今日はそのかわり、なんとかふつうの生活の世界に戻ってゆくために、音楽の力を借りることにしたいと思います。
 
 
  カーペンターズの、『We've only just begun』という曲をごぞんじでしょうか。曲名を日本語に訳すと、『私たちは、まだ始めたばかり』とでもなるかと思います。ここでは、O'donel Levyというアーティストによる、この曲のインストゥルメンタルのカヴァーを紹介させていただくことにします。1分40秒ごろから30秒ほどのあいだに、ストリングスのリフレインが何度もギターに絡んでくるくだりが、特にすばらしい。マッコイ・タイナーの『Fly with the wind』などもそうですが、オーケストレーションをうまく用いている曲というのは、初めて聴いてもすぐに入ってゆけるのに、音に奥行きがあるおかげで、いつまでもくり返して聴くことができるものが多い気がします。
 
 
O'donel Levy / We've only just begun


 

  カレン・カーペンターズによってしっとりと歌いあげられていたセンチメンタルな感情が、このカヴァーにおいては、オリジナルの曲よりもずっと軽やかなテンポのうちに息づいている。創造的な解釈のうちに、原曲にたいする並大抵ではない思い入れを感じさせられます。
 
 
  夕暮れ、または夜明けのなかでこれから新しい生活を始めようとしている二人というのが、オリジナルの歌詞のテーマです。そのことを頭に思い浮かべながら聴いてみると、このカヴァーのほうにも、もうだいぶ薄れてしまってはいるけれども、夕暮れの雰囲気のようなものが曲のうちにかすかに漂っているのを感じとることができる。オリジナルとのあいだに成りたつ密やかな関係を楽しむというのが、カヴァーの醍醐味でもあります。この国の文学の歴史のなかでは、藤原定家という人が、こういうことにかんしては並はずれた感性をもっていました。定家は、オリジナルとカヴァーとの関係というのは、それが目立って表に出てくることなく、かすかなものであるほうがずっと芸術的な効果も高いと考えていたようです。中世の貴族たちの美的感覚の、ペダンティックともいえるほどの鋭さがうかがえるところです。
 
 
  そういう事情もある一方で、この曲のメッセージは実のところ、とても単純なものです。それは、曲名のとおり、人生の日々はこれから先もずっと続いてゆくのだということに他なりません。音に耳を傾けさえすれば、どんな言葉よりも深いところでそのことを直観できる。よい・わるいという区別は、本当はただの見せかけにすぎない。出来事はみな、最後のところでは、それ自体において肯定される。まるで、「すべての失敗を讃えようじゃないか!」とでもいわんばかりの優しさが、曲の全体をつらぬいています。こういうフィーリングをどこまでもスタイリッシュに表現できているところを見せつけられると、音楽にしてやられた!と思わざるをえません。この点にかけては、哲学は音楽にずっと遅れをとりつづける運命にあるのかもしれないという気もします。
 
 
  さて、明日からまた何をしようか。少しずつ、また日常を始めなおす気分になってきました。ここ一週間のあいだは毎日の記事がとても長いものになってしまったので、今日はこのあたりにさせていただきます!よい一日をお過ごしください。
 
 
 
 
[追記。もちろん、オリジナルもとてもいい曲なのですが、カーペンターズの魅力をぞんぶんに発揮している曲としては、むしろ『Touch me when we're dancing』のほうをおすすめさせていただきたいと思います。ヒットを飛ばしつづけた彼らの曲のうちではそれほど知られていないもののようですが、僕は、この歌がカーペンターズの曲のなかではいちばん好きです。カレンは、この歌を残してから2年後に若くしてこの世界を旅立ってゆきましたが、You Tubeの動画のなかでは、彼女は今でも私たちに歌いかけつづけてくれています。]
 
 
Carpenters / Touch me when we're dancing