イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

今後のブログの方針について

  これは、さすがにまずいかもしれない。日本国憲法について記事を書きはじめてからというもの、ほとんど一日中、憲法に取りつかれるようになってしまいました。昨日、夕立ちの情景を描写している美しい文章を読んで、「そういえば、雨上がりの夕焼けというものもあったなあ」と久しぶりに気づかされ、すこし考えさせられました。最近では、起きている時間のうち、少なくとも80パーセント以上が憲法タイムに費やされています。このままでは、せっかく夕焼けがきれいな時間帯に街を歩いていても、心も空ろになってふらつきながら、ただひたすら基本的人権のことを考えていたなどということになりかねません!
 
 
  しかし、毒を食らわば皿までともいいます。僕は、あのソクラテスアテナイの国法をとても大事にしていたことの意味が、やっと少しだけわかったような気がします。たとえほとんど気づかれることがなかったとしても、国法は、その国のなかで生活する人間たちの生き方の、きわめて深いところにまで浸透している。私たちが日常のなかの出来事にたいして抱く感情のうちにさえも国法が息づいているといっても、それは決して荒唐無稽な話ではなくて、むしろそういうことは大いにありうることなのだろうと思うようになりました。そうと決まれば、皿にむかってまっしぐらです!しばらくは、憲法についてもう少し考えてみることにします。
 
 
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  個人的な事情を離れてみても、それぞれの人がじっくり腰を据えて考えたうえでお互いに話してみるということが、今のこの国のなかでいちばん求められていることのような気もします。国の現状やあるべき未来の姿について、真剣に対話してみること。2011年3月11日を経て、2015年に降りかかってきたこの問題をきっかけにして、パブリックな議論がこれまでよりも活発になってゆくことを期待したい。これからインターネットのアンダーグラウンドで繰り広げられる言論もまた、新しい国づくりの土台になってゆくことでしょう。デモクラシーの原理とはまさしく、「一人一人が考えることによってこそ、国がよいものになる」ということに他なりません!
 
 
  最後になりますが、憲法はとにかく面白い。僕は、ここ数年になってやっと、パブリックなものの領域に興味をもつようになってきましたが、これまではどちらかというと、文学や芸術、サブカルチャーなどに浸かって生きてきました。憲法の問題は、そうしたものの魅力に比べてみても負けず劣らずエキサイティングなうえに、個人としての自分自身を超えて、それよりも大きなものへとつながってゆくことができるというおまけまでついています。アリストテレスは、すべての人間は生まれつき知ることを欲すると言っていますが、僕も最近、誰もが憲法に夢中になりうる可能性を持っているのだということを、まわりの高校生たちと話していて感じさせられました。ひょっとすると、憲法こそが最高の知的エンターテインメントなのだとさえ言えるかもしれません!さすがにそこまで言ってしまうと、最近の自分の熱病に浮かされすぎている気もしますが……
 
 
  次回からは、一回の文章の量を少なくしつつ、9条の問題を考えてゆきたいと思います。もしよろしければ、お時間のあるときにのぞいていただけると幸いです。
 
 
 
 
 
 
[記事のブックマークの方に、「憲法との対話篇」と書いてくださった方がいました。鋭いご指摘で、あの文章自体がプラトンの『クリトン』に着想を得て書いたものだったので、元ネタを見抜かれてしまったということになります。それから、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」できないときは、憲法についてどう考えたらいいのだろうかと書いてくださった方もいましたが、明日からのシリーズで、その問いになんとか答えたいと思っています。記事をブログで紹介してくださったよんばばさん、pogpiさんにも、ここでお礼を言わせてください。最後に、さまざまなコメントをくださった方も含めて、みなさま、本当にありがとうございました!]
 
 
 
(Photo from Tumblr)