イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

ニュー・アカデミズムからゲンロンカフェへ   ーこの国の言論の歴史をたどる

 
 前回の記事では、東浩紀さんが経営するゲンロンカフェについて、その概要を紹介しました。経営者である東浩紀さんは、集英社発刊の文芸誌『すばる』2015年2月号において、ゲンロンカフェの試みについて、次のように発言しています。
 
 
 「人文知に魅力を感じる少数者が、その言論の場をどうやって持続可能なものにしていくか。僕はその実験を行っているつもりです。十年後、二十年後の文学部はますます苦境に立たされるでしょう。そのときに、僕の仕事が先駆的なものと評価されるはずだと信じています。」
 
 
 大学から離れたところでも、人文知が生きてゆく場所を見つけてゆく必要がある。このブログにおいても、以前のシリーズ『人文知の未来』において、これからは大学の外に活動の基盤をもつ、インディペンデント知識人とでも呼びうる人たちが数多く現れてくることになるはずだと論じましたが、ゲンロンカフェという場所を切り開いて活動している東さんは、そうした人びとの先駆者として考えることができるのではないかと思います。
 
 
 今回と次回の記事では、今年の1月にゲンロンカフェで行われた、浅田彰さんと中沢新一さんをゲストとして迎えて行われたトークイベント「現代思想の使命」に触れつつ、このイベントスペースのもつ意味について論じてみたいと思います。
 
 
 浅田彰さんと中沢新一さんをご存知でしょうか?今から30年あまり前、この国には、ニュー・アカデミズムという潮流が巻きおこったことがありました。その時代には、人文知の世界は今とはちがって、若者たちの憧れの的でした。大学生たちは、『構造と力』や『チベットモーツァルト』のような本を、ファッションアイテムのようにしてこぞって持ちあるいていたのです。
 
 
 そこには、一時的な流行という側面も確かにあったようですが、僕は、起こっていたのはそれだけではなかったと思います。戦後の70年のあいだに、この国の思想と批評は、独特な伝統をもつ言論の場を育んできました。ニュー・アカデミズムは、そうした言論の伝統のもとに、はじめて現れてくることができたものだったのではないでしょうか。
 
 
 
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 『構造と力』や『チベットモーツァルト』のような本には、画期的な意義がありました。現代哲学や自然科学、人文学のさまざまな領域を縦横無尽に飛びまわるこれらの本は、その内容においても革新的でしたが、まずもって、とてつもなくポップな魅力を備えていたという点を見落とすことはできません。たしかにその内容は、普通の本に比べると難しいですが、読む人の心をとらえるフレーズがそこかしこにちりばめてあって、読んでいると、まるでポップス音楽のように言葉が心のなかに響いてきます。
 
 
 この国の論壇の特徴を一言で論じるのはとても難しいですが、こうした点を踏まえたうえで、あえて最も重要な特徴を一つあげるならば、「大学から離れたところで生き生きと言葉がかわされていた」という点を指摘することができると思います。小林秀雄さんや吉本隆明さんをはじめとして、この国の知識人のなかには、大学の外で活動することで生計を立てていた人が少なくありませんでした。ニュー・アカデミズムの流れが登場するまでのこの国の論壇は、大学の外にいる知識人たちが大学人たちと協働することによって営まれていたといえそうです。
 
 
 ヨーロッパのシステムとは違っていますが、僕は、この国の論壇にはヨーロッパにはない利点があったのではないかと考えています。例外もありますが、ヨーロッパの知的世界は、大学の中で展開されてきた側面が強いために、議論が知識人のあいだだけで閉じてしまいがちであるという難点を抱えています。近年、すこし脚光を浴びているイタリア現代思想もまた、知的エリートのものという性格を持っているため、とても豊かな思索を含んでいるとはいえ、この時代においてはそれほど大きな影響力を持ちえていないように見えます。
 
 
 僕は、この21世紀の思想が抱えている課題の一つは、「限られた一部の人びとだけではなく、一人一人の人間のもとにきちんと届くような言葉をふたたび創りあげることができるか」という点にあると考えています。簡潔にいえば、哲学や思想の言葉は、とくに20世紀後半に、すこし難しくなりすぎました。確かに、そこにはそうなるだけの必要性があったというのも事実です。しかし、冷静になって考えてみると、人間としてよく生きることを問題にしているはずなのに、一般の方が読んでもほとんど意味がわからないだけというのは、何かがおかしかったような気もします!
 
 
 幸いにして、この国の論壇には、相対的に見てそうした難点から逃れたところで言葉を紡ぎつづけてきたという経緯があります。浅田彰さんと中沢新一さんのような人びとがあの時期にポップ・アイコンとして活躍することができたのは、おそらく、ニュー・アカデミズム以前の言論の世界が外の世界とのつながりを持ちつづけていたからという理由も大きいのではないでしょうか。
 
 
 人文知がもっているポテンシャルを、その多様性とともに、街のただ中で炸裂させる。こうした実験は、これまでの人類の歴史のなかでも、本格的に行われたことはほとんどありませんでした。もしも、現代の日本思想に可能性があるとするなら、それは、勇気をふるって「万人のための人文知」というイデーを最後まで突きぬけてみるところに見えてくるのではないでしょうか。この点からみると、東浩紀さんの主催するゲンロンカフェの試みは、この国の言論の歴史を正面から引きうけて、はるか先の地平にまで矢を放ってゆこうという試みであるといえそうです。
 
 
 浅田彰さん、中沢新一さん、そして東浩紀さんの活動がこの国の言論の歴史においてもつ意味について、不十分ながらも論じてみました。今年の1月17日の夜には、この三人が五反田のゲンロンカフェに集まって、さまざまなトピックについて話し合いました。引きつづきこのトークイベントについて論じつつ、ゲンロンカフェについては次回の記事で論じ終えたいと思います。
 
 
(つづく)
 
 
 
(Photo from Tumblr)