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イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

豪傑君の恐すぎる演説   ー『三酔人経綸問答』の闇

 
 『三酔人経綸問答』において、人類の理想を語る洋学紳士君に引きつづいて演説の二番手を務めるのは、豪傑君です。彼のロジックは、洋学紳士君に勝るとも劣らない極論に到達することになります……。これから、彼の言うところに耳を傾けてみましょう。
 
 
 まず、豪傑君は、洋学紳士君の理性にもとづく平和主義を一笑に付してしまいます。国際政治のリアルを見てみるがいい。ヨーロッパの国はこぞって軍備を増し、他国を侵略しつづけているではないか。人間が悪で、国がくだらないことをしているのは、どうにもならない現実なのだ。そう語ったうえで、豪傑君は次のように言い放ちます。
 
 
 「こんなときに、ちまちまと自由、平等などという理想を唱え、人類はみな兄弟という情にかられてしゃべり散らすなど、浮世ばなれもはなはなだしい。」
 
 
 豪傑君は、現代を生きる私たちの誰もが口にしないことを言います。すべての人間にはそれぞれの楽しみがあるとするなら、国にも楽しみがある。戦争の楽しみだ。敵国をすぐれた戦略にもとづく戦いで破れ去らせることができるとしたら、国の楽しみはどれほどのものだろうか。
 
 
 「戦いは何よりも勇気によるものであり、勇気は何よりも気力による。両軍がいざ対戦するとなれば、気力は狂おしいほどに高まり、勇気はりんりんと湧いてくる。これは日常を超えた異世界、異次元なのだ。」
 
 
 豪傑君はこののち、畳みかけるように国策を語ります。私たちの国は、戦争ができるように一刻も早く準備を行わなければならない。他の国も同じことを考えているのだ。世界中が血に飢えているときにこの国だけが平和主義を貫くなど、愚の骨頂ではないか。
 
 
 豪傑君のロジックはさらに暴走して、自分のことまでをも攻撃するにいたります。たぶん、自分のような人間は、歴史の流れにさからう古いもの好きにすぎないのだろう。洋学紳士君のような新しいもの好きは人類の進歩を信じているし、それはまことに結構なことだ。争いを好む古いもの好きの人間たちは、いわば社会の癌だと言っていいかもしれない。言うまでもなく、癌は切除しなければならない。そのために、一ついい考えがある。
 
 
 アジアかアフリカかは忘れてしまったが、一大国があると聞いている(豪傑君はここで、明らかに特定の国を思い描いているようですが、あえて空とぼけをしているのだと思われます)。その国はきわめて広く、資源もあるが、軍事的にはまことに弱いそうだ。国の男子を集めてそこに攻めこんでいって、戦争をすればいい。おそらく、戦争に参加したがるのは、自分のような古いもの好きの人間たちだろう。勝てば国は豊かになるし、同時に社会の癌を切除することもできるではないか。最後は、豪傑君自身の言葉に耳を傾けてみることにしましょう。
 
 
 「ですからぼくはあの二、三十万の人々とともに、あの大国におもむき、ことがうまく運べば、その一地方を手に入れて支配し、そこに一種の癌の社会を築き上げるのです。うまくいかなければ、死体を原野に横たえ、名を異国の地に残すだけです。うまくいってもいかなくても、祖国のために癌を切除するという効果があるわけです。これを一挙両得の策といいませんか。」
 
 
 本気で言っているのかどうか、少しわからないところがありますが、いずれにせよ、すさまじい言葉です。一つだけ確かなのは、まわりにこういうことを言う人が実際にいたら、あまりにも恐すぎるということです!人類全員を一瞬のうちに破滅させるドゥームズデイ・マシーンについて語っていた、あのハーマン・カーン博士のことを思い出してしまいました。ぶるぶる……。
 
 
 
中江兆民 三酔人経綸問答 豪傑君 進め一億火の玉だ
 
 
 
 洋学紳士君の演説が、理論を積みあげてゆき、歴史の流れについて述べつくそうとするのにたいして、豪傑君の演説はハイスピードで、要点だけを突くものです。彼の言っていることはつまるところ、この国は戦争をするべきだという点に尽きているといえます。
 
 
 ロジックがほとんど自己破綻を起こしかけており、本人もそれを積極的に認めているにもかかわらず、豪傑君の演説は、ある種の異様な迫力を持ってしまっています。彼の言うことはたんなる極論にすぎないようにもみえますが、この国が実際にたどった歴史の流れを考えてみるとき、とたんに恐ろしい意味あいを帯びてくると言えるかもしれません。
 
 
 1930年代以降の私たちの国は、ある程度の知識を持っている人間であれば、ほとんど誰でも負けるであろうとわかっていた戦争にすすんで飛びこんでゆきました。私たちはふだん、社会のなかで論理が通用することを当たり前のこととして受けいれながら日々の生活を送っていますが、国がほんものの破滅に向かうときには、もはやまともな理屈などは通じなくなってしまうものなのかもしれません……。
 
 
 自分のことを社会の癌と名指しながら国策としての戦争を提唱する、豪傑君の言葉から学べるのは、いざというときに理屈ではない理屈に押されて破滅にむかわないためにも、ふだんからさまざまなことについて議論しておくことはとても大切だということです。彼の演説については、今回は紙幅の関係からカットせざるをえませんでしたが、侵略した大国への首都移転計画(!)など、ほかにも数多くの驚きのディテールにあふれています。それにしても「癌の社会を築き上げるのです」という表現は、あまりにもアブなすぎるように思います……。
 
 
 洋学紳士君も豪傑君も、どちらも極論そのものの理論を展開していました。最後に、この二人の演説ののちに語られる、南海先生の言葉に耳を傾けてみることにしましょう。
 
 
(つづく)
 
 
 
 
 
 
 
 
ハーマン・カーン博士の悪夢の世界については、もしよろしければ、こちらの以前の記事をご覧ください。]
 
 
 
 
(Photo from Wikipedia)