洋学紳士君にしたがって理性的に考えてみるなら、すべての人間は平等であり、生まれながらにして自由に生きる権利を与えられているといえます。彼は、人類の歴史はこの真理を社会制度のうえで実現する方向に向かってゆくはずだと主張します。ここでは詳しく扱うことができませんが、洋学紳士君によると、歴史の流れは専制君主制から立憲制へ、さらには民主制へと進んでゆくのだそうです。
洋学紳士君の演説は、生き生きとしていてまことに力づよいものです。ただし、洋学紳士君はとてつもなくラディカルな理性主義者なので、ふつうの人が立ちどまるところで決して立ちどまらずに、理論をどこまでも先へと進めてゆきます。私たちもこれから、彼の思考の大筋をたどってみることにしましょう。すべての言葉を引用しているとかぎりなく長くなってしまうので、彼の表現を一部借りつつ、僕なりに彼のいうことをパラフレーズしてみます。
「すべての人間は自由で平等である。国の違いなどというものは、本当は人工的な区分にすぎない。人類は本来、みな兄弟のはずだ。人間は戦争などは起こさず、いつまでも平和に生きるべきだ。」
ここまでのところについては、あまり反論はないかと思います。問題は、それをどうやって実現するかです。
「私たちの国は、幸いなことにまだ弱い。今さら大国になろうとしても仕方がない。私たちは、大国をめざして武力の増強を行うのではなく、むしろ、徳を武器とする小国をめざすべきだ。」
なるほど、そういう考え方もありうるかもしれません。それでは、その路線の内実とは。
「すべての軍備を廃棄する。要塞を壊し、大砲をつぶし、戦艦は商船に変える。兵隊は市民となって、ひたすら道徳を高めることに努めるのだ。」
確かに、道徳的に見るならばすばらしい考え方ですが、これでどこかの国に攻められてしまったら、一体どうすればよいのでしょうか?最後は、洋学紳士君本人の言葉に耳を傾けてみることにしましょう。現代語訳から引用してみます。
「ぼくはそのような凶暴な国はけっしてないことを知っています。もし万が一そのような国があったとしても、われわれはそれぞれ自分で対処するだけです。(……)われわれはしずかにこう言いましょう。あなたがたに無礼を働いたことはない。(……)あなたがたがやって来て、われわれの国を乱すことを望まない。一刻も早く立ち去って、国に帰りなさい、と。彼がなおもきかずに鉄砲をわれわれに向けるなら、ひるまずにこう言いましょう。きみたちは何たる無礼か、と。あとは、弾を受けて死ぬだけのこと。別に秘策もなしに」
な、なんと。驚くべき高潔さですが、たしかに論理は一貫しています。しかし、これではあまりにも……。
洋学紳士君の言っていることはとてつもない極論であるように聞こえますが、この国に生きている私たちには、彼の言っていることを笑い飛ばして終わりにしてしまうことは、とてもできません。それは言うまでもなく、私たちの国は、彼の主張とまさにぴったりと符合する、日本国憲法第9条を持っているからです。
洋学紳士君は、国というものは本来は防衛戦争さえも行うべきではないと言っていますが、私たちもすでに以前の記事において、9条の条文が当初は防衛権さえ否定するものとして解釈されていた(!)ことを見ました。自衛隊を持たないどころか、たとえ攻められたとしても防衛戦争さえ行わないというのが、日本国憲法にもとづいた、この国のもともとのあり方でした。
明治時代に書かれた『三酔人経綸問答』が9条の内容をすでに先どりしていたということには、驚くほかありません。中江兆民は、洋学紳士君というキャラクターをとおして理性の道をどこまでも突きすすむことによって、9条と同じロジックに到達しました。それでは、このロジックを、そして9条の条文を、私たちはどう受けとめればよいのでしょうか。
この点にかんして、今回の安保法案の問題は、私たちに大きな問いを突きつけています。たしかに、集団的自衛権の容認にかんする今回の件には、立憲主義や法治主義といった考え方からみて重大な問題がありました。僕も、集団的自衛権の容認に賛成するか反対するかには関わらず、今回のように事態を進めてしまったことは、この国にとってよいことではなかったと思います。
しかし、その一方で自衛隊を創設し、日米安全保障条約を結び、軍備を拡張しつづけ、自衛隊を海外に派遣してきた私たちの国は、これまでも9条にたいしてずっと「解釈変更」を加えつづけてきたという事実もあります。9条の改憲さえもが議論の射程に入りつつあるいま、いよいよ9条の条文そのものについて正面から考えなければならない時が近づいているといえるのではないでしょうか。このブログでは8月に、現実的に9条を守ってゆくという方向で議論を展開してみましたが、この点については、これからも考えつづけてゆきたいと思います。
最後にもう一度だけ振りかえってみると、「一刻も早く立ち去って、国に帰りなさい」という洋学紳士君の言葉は、とてもすがすがしいものです。彼によると、本当の平和というものは、地球のすべての国が民主制を受けいれて、軍隊を捨てたときにこそ実現するのだそうです。世界中で帝国主義が吹きあれていた明治時代に絶対的な平和のことを夢みることができたのは、中江兆民の思想家としての奔放な想像力のたまものだといえるかもしれません。実際には、「あとは弾を受けて死ぬだけのこと」とはなかなか言えないのも確かですが……。さて、洋学紳士君の出番はこの辺りにして、二番手である豪傑君の演説に移ることにしましょう。
(つづく)
[今回のシリーズでは、立憲主義と法治主義については正面から取りあつかうことができませんが、この論点が安保法案をめぐる最も大切なトピックの一つであることは間違いないと思います。立憲主義という考え方については、もしよろしければ、以前の記事をご覧ください。9条の解釈史については、『9条と私たち』というシリーズで取り扱っています。法治主義については、後のシリーズなどでまた考えてみることにします。]
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