イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、ブログを書いています。

自由意志と、愛しながらの闘い

 
 さて、前回の命題に加えて、もう一つの命題を提示することで、今回の探求の出発点とすることにしたいと思います。


 「キリスト者になることは、自由意志によって選びとられるべきである。」


 信仰すること、あるいはより一般的に言えば、何かを信じることは、誰かに強制されるべきことではないと思われます。ある人がキリスト者になろうとするならば、それは、根本のところでは他の人間からくることではなく、あくまでもその人と神の問題であるといえそうです。


 自分の意志で生きるからこそ、そこに喜びも生まれてくる。ただし、信仰によって生きるというのは、神にしたがって生きることを自発的に選びとるという意味で、話は少し複雑になってきます。自由と神からの働きかけをめぐる問題は、本当はさらに複雑なのですが、そのことはいずれまた後ほど論じるということで……。


 話を戻します。人間にとって自由意志の次元が根源的に重要であることは、勉強する子供たちを見ていると、すぐにわかります。


 筆者は個別指導のアルバイトをしていますが、少しでも強制されていると感じたときの子供たちのやる気の低下ぶりには、驚くばかりです。その逆に、休み時間にマンガを読みはじめた時の彼らの集中ぶりときた日には、それこそ、今川義元の陣内に突っこんでゆく織田信長ばりの精神統一のさまを見せてくれます……。



キリスト者 個別指導 大五郎 食道炎 ヤスパース 愛 真理


 
 おそらく、人間関係をお互いにとってよいものにしてゆくための最大のコツは、相手の自由意志を尊重することなのではないかと思われます。


 一人一人の人間は、考え方も違えば、価値観も違います。したがって、「あなたは〜した方がいいのではないか」ともしも誰かに言うことがあるとすれば、その際には最大限の慎重さが要求されることでしょう。


 ただし、互いの友情や愛情が深まれば深まるほど、真理や善や互いの生き方について熱く語りたくなってくるのも確かですし、真の友情はヤスパースも言うように「愛しながらの闘い」を要求する関係でもあるわけで、そうなると、もはや遠慮も何もいらない、今日は俺とお前と大五郎で夜明けまで語りつくすのだということにもなってきそうです。


 なぜか大変に暑苦しい話になってしまいましたが、とにかく自由意志の尊重と熱い語りあいは大切だということで、今日は締めくくらせていただきます。ちなみに、筆者は今は逆流性食道炎のため大五郎は飲めませんが、一日24時間、たえず神の愛に酔い狂っています……!