イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

「侵すことのできない永久の権利」   ーマグナ・カルタ的憲法観について

国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保証する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。
 
  私たちは、憲法89条後段が提起している問題について検討を加えてみました。そのことは、私たちが日本国憲法そのものに腰を据えて向きあわなければならない状況がやって来つつあるということを、実例をとおして私たちに示してくれたといえます。けれども、この時点になってみて、私たちは戸惑ってしまいます。「そんなことを言われても、憲法という大きな問題に私たちが口をはさむなんてできるのだろうか。そういうことは、専門家が議論するものなのではないか?」
 
 
  けれども、たとえそう言いたくなってしまうとしても、私たちは気づいています。「憲法の問題は、専門家に任せておけばいいというものではない。これは、私たちがどういう国のなかで生きてゆくのかを決める、とても大切な問題だ。誰かほかの人に任せるのではなく、私たちの一人一人がよく考えて、自分の意見を持っておくことが必要なのではないか。」
 
 
  この問題に向きあうための準備として、知らないことを恥じずに、知ろうとすることを恐れずに、次のように問いかけてみることにしましょう。憲法とはいったい、何なのでしょうか?
 
 
  憲法とは何か。どうやらとても大切な法律らしいということについては誰もがわかっているけれど、いざ憲法とは何なのですかと聞かれてみると、胸を張って答えられるという人は、なかなかいないのではないでしょうか。正直にいって、僕も自分の答えにはあまり自信がありませんが、議論を積みあげてゆくための助けにでもなればということで、これから大まかなアウトラインを描いてみることにします。
 
 
 マグナ・カルタ的憲法観
 
 
  憲法は、国のなかでも、最も上位に位置する法律です。それは、国のあり方そのものを示す法律であるからこそ、その他の法律は、憲法が規定した方向性にしたがうかたちで作られなければなりません。けれども、憲法学の伝統は、それ以上のことを私たちに教えています。それは、「憲法とは、個人を国家から守るものである」というものです。
 
 
  たとえば、私たちの国では、「この仕事をしなさい」と国から命令されることがありません。このことは一見すると当たり前のことのようにも見えますが、実はとてもありがたいことなのではないでしょうか。ピラミッドを作るように命令されて強制的に働かされた人びとが数えきれないほどいた古代エジプトの状況を考えてみるならば、私たちは、この時代のこの国に生まれることができた自分たちの幸運に気づくことになります。人身の自由や経済活動の自由が、私たちを守ってくれているというわけです。思想・良心の自由。学問の自由。信教の自由。他にも、まだまだ挙げてゆくときりがありませんが、私たちの一人一人は、日本国憲法が保証するさまざまな自由によって国から守られています。
 
 
  ここは、日本国憲法からそのまま表現を借りてくるのがよいでしょう。すなわち、第11条の「侵すことのできない永久の権利」というのがそれです。誰にも奪うことができないし、なくなることも決してない自由。憲法にたいしてこんな言葉を用いるのはすこし変かもしれませんが、この表現はとても美しい。私たちは、自分たちの国の憲法のうちにこれほどまでに美しい表現があるという事実を、誇ることができると思います。
 
 
  国は、このような自由を保証している憲法を、けっして破ることができません。これは、考えてみるととても不思議なことです。「国の力は個人なんかよりもずっと強いのだから、憲法なんて、破りたくなったら破ればいいじゃないか。」けれども、私たちの国をはじめとする近代の国家は、個人がもっている基本的人権を絶対に無視しないという原理のもとに作られています。
 
 
  いちばん大きな権力をもっている国でさえも、憲法にはかならず従わなければならない。このような考え方のことを、立憲主義といいます。立憲主義は、私たち人類がついここ数百年のうちに手に入れた、とても大切なイデーです。このイデーのおかげで、この国のなかで生きている私たち一人一人もまた、安心して日々の生活を送ることができるといえます。この概念は、思想の営みが世界をじっさいに変えていることを示す、よい例だということができるでしょう。
 
 
  個人を国から守るものとしての憲法という考え方は、憲法学の伝統においても、きわめて広く受け入れられたものとなっています。こうした考え方のことを、これからマグナ・カルタ憲法観と呼ぶことにしましょう。僕がこれから提出してみたいのは、次のような問いです。「このマグナ・カルタ憲法観がとても重要なものであることには、まったく疑いがない。けれども、この考え方は同時に、暗黙のうちに、事柄のある側面を見逃してしまう危険も持っているのではないか?」そして、この問いの検討に引きつづいて、その側面を補う別の憲法観を提出してみたい。けれども、そのためにはまず、これまでの人類の歴史の流れをふり返ってみることが必要になってきます。
 
 
(つづく)
 
 
 
(Photo from Tumblr)