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イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

軍事路線の大国ではなく、独自路線の小国へ   ーこの国の未来を考える

絶対平和のアノマリー 思想と社会
 
 最初に、9条を弁護してゆくうえで、象徴的な人物をひとり取りあげてみることにします。吉田茂は、戦後のこの国の形を作りあげていったという意味において、私たちにとってきわめて大きな存在でした。9条にたいする吉田の態度は、大枠からいえば、どうやら次のようなものだったように思われます。「なるほど、アメリカの意向によれば、わが国は正規の軍隊を持ってはいけないというわけか。9条と安保は組になって、東アジアの秩序を形づくってゆくことになるだろう。9条は、軍事的な面からいえば話にすらなっていない条文だが、そういうものを持ってしまっているのは言うまでもなく、私たちの責任ではない。そもそも、向こうから言い出した話だ。軍事にかんしては、アメリカに最後まで金と責任を持ってもらおうじゃないか。」
 
 
 軍事をあきらめるかわりに経済を取る。日米安全保障条約とセットになることで、9条を掲げた私たちの国は、世界の中でも数少ない経済大国になりました。9条は、単体で見るとナンセンスなものに見えても、国際情勢のコンテキストのなかに置きなおしてみると、俄然大きな意味を持ってきます。従属しているように見えて、取るところは取る。不自由なように見えて、9条を盾にとってさまざまな言い訳をこねくり回すこともできる。私たちの国は、この条文と独特の付き合いを重ねることによって、これまで実に巧妙に生き残ってきたともいえます。この伝統は、捨てるにはあまりにも惜しいリソースであるといえるのではないでしょうか。
 
 
 今回と次回の記事では、ひとつのフレーズを立ててみました。それは、「軍事路線の大国ではなく、独自路線の小国へ」というものです。今後、日米同盟と中国のあいだに起こるかもしれない「ネオ冷戦」を避けるためには、手段を選んではいられないところがあります。これから、9条を守りつづけるという前提に立ったうえで、これから先のこの国のあり方について論じてみることにします。
 
 
9条
 
 
 まず最初に、「私たちの国は、実は大国ではなく小国なのではないか」という問いかけをしてみることは、重要な問題提起になりうると思います。私たちの国はこれまで、経済的に見ればとても大きな成長を遂げてきましたが、今のところ自前の核兵器を持っていません。アメリカの庇護のもとにいるのでつい忘れてしまいがちですが、国際的な発言力は、核を持っているか持っていないかによって、とても大きく左右されるところがあります。
 
 
 アメリカと中国という大国に挟まれた私たちの国は、太平洋に浮かぶ小国であると考えたほうがよいのではないか。少なくとも、アメリカと中国は私たちのことを、ゲームの中の対等なプレイヤーだと考えていない部分があることは否定しにくいと思います。「もちろん経済的には無視できないけれども、結局のところ核は持っていない、アメリカとタッグを組んでいる国。」この国は、軍事的な面からみるならば、少なくとも今までのところは大国の恩恵を受ける小国であったと考えたほうがよさそうです。
 
 
 対等なプレイヤーになるためには核兵器をもつ必要がありそうですが、この選択はやめておいた方がよいのではないかという点については、前回すでに触れました。現実的な面からいうならば、私たちの国はすでにアメリカの核の傘の中に入っています。ここからさらに中国と核兵器をめぐるエスカレーションを起こしてまで得られるものは、あまり大きくないのではないでしょうか。核兵器を製造・維持してゆくには、そのために必要な予算もけっして小さくありません。
 
 
 そもそも、「経済の領域だけではなく、軍事方面でも大国になりたい」と願うよりも、「軍事的には小国でもいいから、とにかく平和な暮らしがしたい」という望みを持っている方は、私たちの大多数を占めるのではないでしょうか。その望みを実現したいのならば、僕は現実的な面からいっても9条を持ちつづけて、小国路線を貫いたほうがよいのではないかと考えています。しかし、その場合にも防衛の問題が残ることはいうまでもありません。ここでは、簡潔にではありますが、対応策について書いてみることにします。
 
 
9条
 
 
 
核兵器にかんして
 
 9条を持ちつづけることで、均衡を保ちます。表向きは、「核兵器を持つことは、倫理の面からいっても絶対にいけない。私たちは、核兵器を否定する国だ」という建前を守りつづける。そして、その内実としては、アメリカの核の傘にこれからも守ってもらう。つまり、これまで通りの方針をつづけるということになります。「核をめぐる対立からは、できる範囲でなるべく離れていよう」というスタンスです。9条を持っていて、核兵器の廃絶まで訴えている国に核兵器を落とすというのは、さまざまな面からいって抵抗も働くことでしょう(もちろん、このロジックは万能のものではありませんが)。平和のメッセージを訴えながらアメリカの核兵器に守ってもらうというのは少しずるい気もしますが、これまでずっとそれで状況を切りぬけてきたわけですし、これが私たちなりの生き残り戦略なのだと思ってしまってもいいのではないでしょうか。少なくとも、これなら他の国を傷つけてはいません。
 
 
・通常の「戦力」にかんして
 
 色々な面で不都合は出ることと思いますが、自衛隊という「実力」を強化してゆく方向で、なんとか対応してゆくことができなくはないと思います。この点については、いま問題になっている集団的自衛権の行使の案件が済んでからでないとなんとも言えませんが、基本的な方向としては、中国の膨張には適宜対応しつつ、決定的な軍事的エスカレーションに陥ることを避けつづけるべきではないかと思います。正直に言って、これはとても頭の痛い問題だとは思いますが、9条を改正しようとしまいと、どちらにしろこの難問は残りつづけます。そのさい、9条を改正することのメリットは確かに無視できませんが、核戦略との絡みで、ここは改正せずに切り抜けたほうがよいのではないか。
 
 
 この点については、アメリカとの関係についても考えておいたほうがいいかもしれません。私たちの国は、さまざまな点でアメリカの意向に従っていますが、9条を改正して自前の軍隊を持ったからといって、この状況が大きく変わるわけではないように思います。むしろ、アメリカが今までよりも多くのことを、自由に動けるようになった私たちにたいして要求してくるようになる可能性のほうが高いかもしれません。現在、外務省をはじめとするこの国のさまざまな組織は、ここ70年の歴史の流れのなかで、アメリカ依存体質から抜けだしにくくなっています。ここから核兵器を手に入れたうえで、軍事面でもイニシアティブを取れる国になるというのは、残念ながらきわめて難しいと思われます。その点、9条は、動かないための言い訳としては便利なものです。
 
 
 
 「力で勝ったとしても、得るものは少ない。私たちの国は、軍事面でイニシアティブを取るのではなく、別のアプローチで生き残ってゆくのだ。」今後取るべき方向としては、こうした選択肢を強化してゆく道もありうるのではないでしょうか。思い起こしておきたいのは、「この国は、こわばって真面目に問題に向きあった時には目も当てられないような失敗が多いけれども、その場を取りつくろいながらのらりくらりと問題をかわしつづけることについては、ほかに類例を見ないほどに高度なスキルを持っている国である」ということです。この国は9条をこれからも守りつづけつつ、独自路線の小国として、知恵をけんめいに働かせながら平和を守ってゆくことができるはずです。
 
 
(つづく)
 
 
 
 
 
[「そもそも、アメリカに頼りつづけるのなら『独自』とは呼べないではないか」という声もあるかと思いますが、ここでいう「独自路線」とは、軍事拡張路線にたいして、「9条を守るという独特の道を保つことで生き残ってゆく」という意味で用いています。
 
 
 今回の記事については、「武力について他国を頼りにしながら9条を掲げつづけるのは、平和主義の理念にもとる」という批判がやはりいちばん大きいかと思います。しかし、将来の「ネオ冷戦」の脅威にさらされるくらいなら、そうした批判は甘んじて受けて、実利としての平和を取るという選択肢もありうるのではないでしょうか。この選択肢は、日本のみならず、中国やアメリカの利益にも合致すると思います。東アジアを非核武装化するというのはたしかに理想ですが、その実現は今のところ、絶望的なほどまでに難しい。それに対して、9条という「理想」を振りかざしておくことによって、少なくとも核にかんしては三国のあいだの相対的な均衡を保つというのは、とても現実的な道です。国際政治の現実については、どのような選択肢を取るにしてもすべてを美しくまとめることはできないので、どこかにしわ寄せがくることについては覚悟しておく必要があるのかもしれません。]
 
 
 
(Photo from Tumblr)