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イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

ディスコミュ二ケーションを突きぬけて ー向井秀徳「KIMOCHI」から考える

死の欲動と倫理の問題 音楽について 本、音楽、映画 哲学
 
 これまでの二つの曲の分析から見えてきたのは、私たちの時代においては、人と人とのあいだの関係が、かつてないほどに遠いものと感じとられるようになってきているということです。
 
 
 あなたは、私にとっては原理的にいってすべてを知ることのできない存在です。たとえあなたについての情報をどれだけ多く手に入れたとしても、私には、あなたのうちにある他性を消しさってしまうことは決してできない。そのことに気づくとき、あなたに向きあう私は、私とあなたをへだてている無限の遠さを意識せざるをえなくなってきます。
 
 
 おそらく、現代の人びとはまだ、この無限の遠さの存在について、少しずつ気づきはじめたばかりの地点にいます。これまでの人間にとっては、お互いに理解しあえることの方が普通のことであり、コミュニケーションに齟齬が生じるのは、特殊な事故でしかありませんでした。けれども、前回に取りあげたエマニュエル・レヴィナスの哲学などをみていると、こうした考え方がしだいに後景に退いて、今まさに惑星規模で新しい人間観が生まれつつあるということを予感せざるをえません。
 
 
 新しい人間たちは、相互理解ではなく、むしろディスコミュニケーションの方が通常の状態なのではないかと考えはじめています。人間と人間のあいだには、架け橋を渡すことがかぎりなく困難であるような、大きな断絶がある。この断絶を超えてお互いのあいだに何かが伝わるとしたら、むしろそちらの方こそが、奇蹟とも呼べるようなことなのではないか?だからこそ、新しい人間たちにとっては、人間が誰かと何かを分かち合えるという可能性のなかにこそ、言いつくすことのできないほどの美しさが存在しているということにもなる。この美しさはおそらく、前の時代の人びとが、その存在があまりにも当たり前すぎたために、これまで自覚的に見いだすことのなかったものです。
 
 
 なぜ、人は人を殺してはいけないのか。この世界のうちで生きてゆくことに、意味などあるのか。こうしたことで悩んでいる若者たちは、数多くいます。そうした若者たちのことを、ある種のラベルづけをして笑い飛ばすことは、たしかに容易です。けれども、そうした人たちは、新しい倫理を打ちたててゆく必要に駆られている今のこの時代の問いを、自分たちのほうでも望まないままに引きうけさせられてしまっている人たちであると言うこともできるのではないでしょうか。
 
 
 哲学や芸術、エンターテインメントやサブカルチャーの世界を見ていると、道徳法則を頭ごなしに教えこむだけではなく、なぜ人間は道徳法則を守るべきなのかという問いにまで答えることができないと、人間どうしの関係が成りたたなくなってしまうような時代がやってきつつあるということを感じとることができます。今日の記事は、NUMBER GIRLを率いたのちに、現在はZAZEN BOYSのボーカルとして活躍している向井秀徳さんの代表曲、『KIMOCHI』を紹介させていただいて、簡潔にコメントをしたのちに終わらせたいと思います。以下で紹介する動画は、椎名林檎さんがゲストボーカルとして登場しているヴァージョンです。
 
 
 
 
 
 
 この曲については、歌詞を説明する必要はないでしょう。サビの部分についてのみ、少しだけコメントしておきたいと思います。
 
 
 向井秀徳さんがここで「貴様」という言葉を用いているのは、一つには、現代という時代において何かを相手に伝えたいと思うときには、まず自分と相手とのあいだに横たわっている無限の遠さを前提にする必要があるからだと考えることができるでしょう。「あなたに伝えたい」ではなく、「貴様に伝えたい」という言葉を選びとったことのうちには、コミュニケーションにおいて本当に伝えるべきものが伝わる可能性など、一種の奇蹟のようなものでしかありえないと認識したうえで、その奇蹟にむかってまっすぐに切りこんでゆくという態度を見てとることができるように思います。
 
 
 私が私であること、私が私として感じとっているものを、ここで私秘性と呼ぶならば、あなたの他性を知ることができないのとちょうど同じように、私には私の私秘性を伝えることなど決してできないといえます。けれども、たとえそれが不可能であることを知っていたとしても、もしそのことを諦めて受けいれてしまうならば、私があなたに向かって歌いかけることの意味などあるのだろうか。本当に相手に何かを伝えようと思うとき、コミュニケーションはみずからが原理的に抱えている不可能性を突き破ろうとせざるをえなくなり、ほとんどディスコミュニケーションすれすれのものになります。「KIMOCHI」は、人間が体験するなかでも最も狂おしいものであるといえるこの瞬間をどこまでも優しく歌いあげることができたからこそ、この国のロック史に残る一曲となったといえるのではないでしょうか。
 
 
 「KIMOCHI」が発表されてからもう10年以上がたちましたが、公園や街の道ばたでこの曲をギターで弾いている人を見ることは、今でも珍しくありません。読ませていただいているあるブログのなかの、昔の記事のなかには、17歳の女の子がYouTubeの動画のなかで歌っているこの曲に一日中聴き入ってしまったと書いてありました。この文章を書きつけている今のこの瞬間にも、きっとどこかの誰かがこの曲に耳を傾けつつ、わたしを超えてあなたのもとに何かが届く可能性について、ヘッドホンに耳を当てながら思いを馳せていることでしょう。
 
 
 これで、今回のシリーズで紹介させていただく作品は終わりになります。最後に、芸術と倫理の関係にかんして、私たちがこの探求において見いだしたことについてまとめて考えてみることにします。
 
 

向井秀徳

 
 
(つづく)
 
 
 
(Photo from Tumblr)