イデアの昼と夜

東京大学で哲学を学んだのち、キリスト者としてブログを書いています。

死にいたる思想

 
 前回の記事のつづきを書こうと思っていたのですが、ちょっとダウンしてしまったので、今回はそのことを書くことにします。
 
 
 前回の記事を書いたあと、僕はピノコくんと電話をしました。話題は、神の愛のことに及びました。会話はどんどんディープな方向に進んでゆき、気がつくと、僕は一時間ほどのあいだトランス状態に陥って、神の愛と命の同一性について、何かに取り憑かれたかのようにずっと話しつづけていました。
 
 
 あとから考えると、その時に話していたことは、中世のイスラーム神秘思想家であるアフマド・ガザーリーという人の思想に近いところがあったように思います。その思想はまた、聖書の『コリント人への手紙第一』13章でパウロが言っていることとも部分的に重なるものでした。
 
 
 それから、電車に乗っていてもそのイデーに襲われるなどして、最初はよかったのですが、まもなく、精神的にも肉体的にも憔悴しきってしまいました……。このイデーについては、いずれ書いてみたいと思いますが、今は書くと命が危なそうなので控えておくことにします。
 
 
 
コリント人 トランス ガザーリー
 
 
 
 こういうことは、これまでにも数回ありました。ほかの哲学者や宗教者たちの伝記を読んでいても、霊的に高揚したあとにすさまじい虚脱状態に襲われるということはわりとよくあるようなので、これは人類に普遍的な現象なのだろうと思います。
 
 
 イデーというものは、恐ろしいものです。おそらく、本当の真理を知ってしまったときには、人間は死ぬのではないかと思います。「神と真理には、あまり不用意に近づきすぎないように気をつけなければならない。」今は少しだけ回復しましたが、今回はこれを結論として、記事を終わらせることにします。
 
 
 
 
 
 
 
 
[進行状況をかんがみて、シリーズ名を「弱さと神の問い」に変えました。]